はじめに

 「空気を読む」という言葉はだいぶ一般的な言葉となりましたが、あえて定義づけるのなら「言われなくても相手の意図することを推測し、相手の期待に沿った行動をとること」とでも言えそうです。社会生活を営む上で我々にとって空気を読めることはプラスの評価となり、空気を読めないことは特に集団場面でのマイナス要素となりえます。そのため、日々空気を読むことを意識して過ごしている方は少なくないのではないでしょうか。

日本人らしい人間関係の基盤として

 日本人の文化には空気を読むことを当然のように求める所があるように思います。言いづらいことをお互いに言葉にしない、させないということはある種の思いやりであり、そこにお互いの信頼関係が産まれるのかもしれません。「忖度」という言葉が流行ったのはこのような日本人の国民性が極端に現れた部分でもあるでしょう。

 しかし、言われていないことをどこまで汲むべきなのか、またどこまで相手の意向を推測するべきなのかの基準は難しく、忖度にみられる日本人の文化は、諸外国の方には理解し難いやりとりと映るようです。

空気を読めない人への批判の目

 社会生活を送る上で人間関係を結び、維持することは避けて通れません。そして、我が国は自分というものを強く主張するよりも、和を乱さないことが尊いものとして評価されやすいようです。自己主張が強くて和を乱す人物は小学生であっても他の子から批判の対象になることが少なくありません。子供であれ大人であれ、空気を読めないと相手に距離を取られることが多くなります。

「空気を読んで欲しい」というメッセージの変化

 相手が距離を取るなどの遠回しの表現で伝えてきたことの中から、意図するメッセージを読み取ることがまさに空気を読むことです。これを適切に察することができないと露骨な皮肉や中傷の言葉が向けられることもあります。それでも改善がなければ集団から追い出される展開へと発展することも決して珍しくはないように思います。空気を読んで欲しいというメッセージを受け取れないことが、批判を正当化する理由になるという怖さを含んでいることになります。

読めない事情を考慮しない残酷さ

 ですが、ここに一つの難しさがあります。そもそも空気を読めない人は空気を読んで改善することを求められても上手く対応することが出来ないということです。それにも関わらず、言葉で伝えずに「空気を読め」と求めるのは、なんとも酷なことです。そこに空気を読めない人の人格を尊重しようとか、分かり合おうという優しさが全く感じられません。

「空気を読め」は過剰サービス要求している

 空気を読めないことに対する集団からの罰則は厳しいため、我々は空気を読まなければいけないという強迫観念を常に抱えて過ごしているように思われます。自分の身を守るためには空気を読まなければいけないという図式が見えてきます。

 しかし、読めないことは批判されるべきことなのでしょうか。「空気読めよ」という言葉は定型句のように使われますが、これは自分(達)への思いやりを相手に強要する表現です。極論ですが、「あなたは自分の苦手な部分や本当は言いたい意見を押し留めて、私たちへの思いやりを優先するべきだ」ということです。

 本当にそうでしょうか?空気を読むことが相手に対しての思いやりであれば、それはあったら嬉しい、なくても仕方ないというものであるはずです。「空気読めよ」という要望は過剰なサービスを当然のように要求している言葉のように思うのです。そして、その要望に答えなければと思う現代人は人間関係の上でかなり無理をしているように感じます。

参考:気を使いすぎて疲れてしまう人へのカウンセリング

アサーションという考え方

 空気を読むという視点を持たない文化圏ではどのようにやりとりがされているのでしょうか。諸外国では自分の気持ちをハッキリと言えることが大切にされていると言われます。これは自分の意見をしっかりと持ち、相手に伝えることで人間関係が深まっていくという考え方です。様々な人種や価値観を持った人間が共存しているという事情はありますが、単一民族の日本とはまるで違う文化です。

 しかし、近年では日本でも自分の意見を相手に伝え、かつ人間関係を良好に保つという切り口に注目が集まるようになりました。これを「アサーション」と言いますが、読み疲れをしている日本人には益々必要になる考え方のように思います。

参考:アサーションを用いた関係づくり

空気を読めない悩みを抱える人へ

 もちろん、空気を読めるに越したことはありませんが、それは+αのサービスです。空気を読めないことで必要以上に自分のことを卑下しないでほしいのです。しかし、空気を読むことが集団適応に求められていることも事実です。自分の提供できるサービス以上のものを要求されて辛いのであれば、それはどなたかに胸の内を明かすべき時なのだと思います。職場の上司でもいいですし、家族や友人でもいいと思います。「どうも人間関係に疲れてしまう」ということを伝えるだけでも随分と楽になるはずです。

 もし、空気を読むことの苦手さが就業や社会適応に影響を与えるようであれば、カウンセリングの利用を考えることも選択の一つです。自分の気持ちと空気を読む要求との間で負担が強くなりすぎない距離を検討し、現実の場面でどのように伝えていけば良いかを一緒に考えることができます。

相手に空気を読むことを要求してしまう人へ

 空気を読めない人にイライラしてしまう方も少なくないと思いますが、空気を読めないことに怒ることはやや筋違いかもしれません。必要であれば、「空気を読んでほしい」ではなく相手に「○○の場面では△△してほしい」とちゃんと自分の言葉で依頼するべきだと思います。相手が了承したにも関わらずやってくれない時に初めて怒るべきです。

 ある学校の先生が、生徒に「空気読めよ」と言われて「なぜ私が空気を読まなければならないのか。あなたはそんなに偉いのか」と話していたことがありました。年代の近い相手や上司に向かってこの言葉を言うことは難しいですが、確かに「相手がしてくれない」と怒るのではなく、空気を読むことはお願いするものだという理解をお互いに持てた方が良い関係を維持できるような気がします。いかがでしょうか?

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