はじめに

 どこまで相手に従うか、どこまで相手に合わせるかは相手との関係性や本人の性格などの様々な要因によって決定されます。そのため、一概にここまで合わせるべきという基準は定めにくいですが、なんとなく社会全体で共有されている適正な距離感があるようです。しかし、自分の対応によって相手が気分を害したらどうしようという懸念は我々にとって日常茶飯事であり、理屈だけで結論づけられるものではありません。

相手に合わせることで生じる矛盾

 これから挙げる例では多くの方が「あれっ?」と思うはずです。

    1. 職場でしか話したことがない人にいきなり「今日家に行っていい?」と声をかけられること。
    2. 明日大事な仕事があるにも関わらず断りきれず誘われて飲みに行ってしまい次の日に大遅刻をすること。

 1.では相手に課題がありますが、2.の例では断れない自分の様子にも目を向ける必要があります。ただ、どちらの場合も相手に合わせることを負担に思う場面だと感じるはずです。

 このような場面が繰り返される事で生じる一番の問題は、自分が相手のことを煩わしく感じるようになってしまうことだと思います。一緒にいることが負担になると、どうしても関係を続けることは難しくなります。これは、友人や同僚だけでなく、家族や夫婦関係でも同じです。つまり、相手に合わせるという姿勢は、相手を尊重することで逆に遠ざけてしまうという矛盾した構造になっているわけです。

基準となるものは

 もし、あなたがその相手と長く関係を続けたいのであれば、早くこのようなやりとりを終わりにしないと関係が破綻してしまいます。また、関係を終わりにする事ができない相手との間では負担が大きくなりすぎてしまい健康上の課題が生じてしまうでしょう。関係を続けることを自分が望んでいない相手であれば、そもそも合わせる必要はないのかもしれません。さて、このように考えると、相手にどこまで合わせるかという基準はどうも自分の感情や相手に期待する関係性次第と言えそうです。すると、合わせるべきかどうかは自分の内面をよく見つめる事が必要になってくるはずです。

自分の気持ちだけでは身動きが取れない時

 しかし、相手が上司であったり何らかの上下関係に規定されている関係、あるいは家族関係などでは自分の気持ちだけを判断の基準にする事が難しい事があります。

 仕事は生活のために辞めるわけにいきません。でも上司に合わせるのが辛い…。このような時に人は葛藤状態に置かれます。この状態が長く続く事でうつ病の発症などに繋がってしまうこともありますし、最終的には葛藤を感じること自体が難しくなります。例として近年のブラック企業の問題が考えられます。ブラック企業では労働環境の違法性は勿論ですが、本人の主体性が侵害されて自分の内面を見つめる機能が破壊されてしまう事も大きな問題です。DVも同様の構図でしょう。

 このような状況下ではどこまで合わせるべきかの判断を第三者に委ねる方が良いでしょう。自分の気持ちだけで判断基準を定められない時は、葛藤が出来る段階で誰かに相談する事が大切です。

おわりに

 このように見ていくと、自分を抑えて相手に合わせるという行為は長期的には自分の内面との対話を難しくし、どこか心を切り離す作業のようです。常日頃から自分が相手とどういう関係でいたいのかということを考える習慣をつけていくことは大切ですし、そうすると過度に相手に合わせるという事も少なくなっていくように思います。

 「何故自分を抑えたやりとりになってしまうのか」はカウンセリングでも話題になる事が多い悩みです。それぞれの事情はありますが、上記のように相手の関係の中で自分に問いかけ、主体性を回復する事が治療の目標となる事は少なくありません。