はじめに

 4月から国立新美術館で19世紀半ばから20世紀初頭にかけてのウィーンの絵画や彫刻などを展示する企画展を行なっていました。8月5日までと期日が迫っていましたが、ギリギリで鑑賞することができました。本展示ではマリア・テレジアの肖像画に出迎えられ、年表を追いながらウィーンがヨーロッパ有数の都市へと変貌していく過程を美術史を通して見ていきます。先日、クリムト展を紹介しましたが、ここでもクリムトの絵が展示されています。また、クリムトより30歳ほど年下のエゴン・シーレの作品が紹介されて展示は終わります。なかなかの見応えでした。

啓蒙主義に促された心理的自立

 マリア・テレジアの時代は産業革命の真っ只中にあり、教会の権威や神の威厳など今までは当然の物として信じられていた価値観が揺らぐ時代でもあります。啓蒙主義とは人間の理性に重きを置き、自ら思考して、旧体制を変化させていくことを良しとする思想です。つまり、この時代では人間が文化や慣習を盲信して集団の一員として過ごすのではなく、「個」として思考し神から自立することが尊重され始めた時代です。

ビーダーマイアー時代に見られる引きこもり時代

 ナポレオン戦争が終結した1814年頃から1848年までは近代化が急速に広がる一方で、社会全体に厳しい監視の目が行き届く窮屈な時代となります。この時代では、人々は家で快適に過ごす、私的な時間を楽しむという内的な満足に目を向けるようになり、快適な住空間を求め雑貨や家具などに代表される調度品が洗練されていきます。その一方で社会情勢などに無関心な傾向が強くなり、やや殺伐としてどこか諦めた空気の漂う時代であったそうです。これは外界の厳しさから内的な世界に退避する動きでもあり、二次的ナルシシズムに支配された引きこもりの時代と言えそうです。

城壁の撤去による自我の拡散

 ウィーン革命後に即位したフランツ・ヨーゼフ1世の時代に、ウィーンは城壁の撤去による市街地の拡張という大きな歴史の節目を迎えます。単に手狭になったということもあるのでしょうが、今まで隔てていた外界に向き合うという大きな決断が成されたわけで、その意味の大きさは容易に想像ができます。城壁の意味するものは防衛ですが、ここには外にあるBadなものから自分を守るという心理的な意味があったはずです。それを撤去したことはBadなものに向き合う意思が必要であり、ナルシシズムからの脱却を意味します。また、Badという価値付けは古からの慣習でしかなく、そこから抜け出し外界を探索することは保護者からの分離を連想することも出来ます。

 しかし、そこに伴う不安は当然あったようです。さらに啓蒙主義により培われた理性的・現実的な視点が加わったことで、結果、集団意識の多様化を招きます。芸術面ではクリムトを初代会長としたウィーン分離派の派生などがあり、大衆の意識としてある一定の方向へ組織化されていたものが分裂していく様子が見て取れます。都市化により華やかな時代に見えますが、一方で「個」の安定を相当に欠き、各々が同一性の獲得を目指した時代だったのではないでしょうか。

考察:フロイト理論への影響はあったのか?

フロイトが影響を受けたもの

 さて、この時代はまさに我らがフロイトが生きた時代でもあります。彼に影響を与えないはずもなく、また、彼が芸術家に与えた影響も当然あります。ここまでで何度か述べましたが、引きこもることと解放されることが繰り返された時代であり、このことがナルシシズムへの視点に間接的に影響を与えたと考えることは極論ですが連想をしてしまうところです。また、城壁の撤廃は防衛がなくなることを意味しており、相当な不安を感じるはずです。この不安を具象化した漫画が一時期大流行したのは、きっと壁がなくなることに象徴される根源的な不安が我々人間の中にあるからでしょう。しかし、その不安を打ち消すように都市は発展を遂げていき、熱狂的な興奮で不安を抑圧していきます。このあたりは本来の情緒を十分に味わえないヒステリーの視点に近いですね。こじつけですが。

フロイトが影響を与えたもの

 クリムトの「愛」という作品では単に男女の情愛を描くだけでなく、そこに儚さやいつか終わりを迎えることへの恐怖のようなものが描写されています。美しさは一面的なものでしかなく、愛が成就することに伴う負の感情の存在に気付かされます。また、エゴン・シーレの自画像では、シーレの背後にある壺がシーレと同化し、これがシーレのもう一つの側面を表していると言われています。興味深いことにこの壺は人の顔にも見え、シーレのもう一つの自我を象徴していると解説されていました。さて、クリムトにせよシーレにせよ、「個」の中にある多面性が作品のテーマになっていたことは明白です。そして、このことは表面的に観察できる行動とは別の思いが人間にはあり、無意識の発見を連想する物でもあります。

参考クリムト展・ウィーンと日本2019