はじめに

 2019年9月より東京都美術館にて開催されている「コートールド美術館展」に行ってきました。休日でしたがそれ程混んでなかったのでオススメします。コートールドというタイトルが内容を想像しにくくさせているようにも感じますが、その影響でしょうか。まずは、その辺りからご紹介したいと思います。本展覧はロンドン大学付属コートールド美術研究所に展示されている、サミュエル・コートールド(Samuel Courtauld)のコレクションを中心に紹介しているものです。作品は印象派やポスト印象派の作品が中心であり、セザンヌ(Paul Cézanne)、ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin)、ドカ(Edgar Degas)、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir )、マネ(Édouard Manet)などの作品が並びます。今作品のポスターに起用されている作品はマネの作品である「フォリー=ベルジェールのバー」です。劇場のバーで働いている女性がモデルとなっています。

コートールドについて

 本展示の作品を収集したコートールドとはどういう方だったのでしょうか。本業はレーヨンを製造する繊維会社の経営者で、莫大な富を築いたとのことです。彼はその資金を元手に印象派やポスト印象派の作品を買い求めます。相当な感性の持ち主だったらしく、知名度や流行に流されず、自分の審美眼を頼りに購入を決めていたそうです。購入前に自宅に絵画を飾り、対話を通じた上で最終的に購入するかを決めたという入れ込みエピソードはなかなかです。また、コートールドの作品は僅か10年程で収集された作品というのも驚きでした。この辺もどんな想いがあったのか知りたいところではありますね。そして、妻との死別後にロンドン大学の美術研究所に収集した作品を寄贈したことが、コートールド美術研究所の前身となります。展示作品を見ると夫婦で楽しそうに絵画を愛でる場面があり、妻との別れが彼の心境の変化へとつながったことは間違いなさそうです。

 ところで、イギリスの実業家である彼がなぜフランスの印象派の作品に傾倒していったのかが気になりました。彼の家系は元々フランスで暮らしていたそうですが、17世紀末に宗教的迫害によってイギリスへと移住したそうです。17世紀末のフランスといえばユグノー戦争でしょう。このことが彼のフランス美術に対するただならぬ執着に通じたと考えるのは行き過ぎでしょうか。

近代化と伝統の板挟みの時代

 コートールドが最も多く買い求めたのはセザンヌの作品でした。セザンヌの作品は出生の地である南フランスの自然を描いたものが多いです。19世紀後半ともなると近代化の波が押し寄せてくるのですが、この地はまだまだ伝統的な生活が続いている地であったそうです。セザンヌの遺した言葉に「私は時の法のなすがままにしきたりを曲げることなく年を重ねた人々が何よりも好きなのです」というコメントがあるそうですが、近代化に伴う苦痛を感じる言葉です。また、近代化の恩恵を真っ先に受けていたであろうコートールドが、セザンヌの作品を高く評価したことも興味深く感じます。事業の成功は別にして、過ぎ去った時代を憂う彼の心境を想ってしまうのです。

 さて、作品を眺めていると、近代化の評価が画家によって大きく異なることに気付きます。ピサロ(Camille Pissarro)などは、田舎に布設された鉄道をモチーフに作品を描いていますが、マネはセーヌ河の対岸に工場を置き変化する時代への想いを馳せるような作品を残していますし、上述のバーの女性もどこか悲しみを伴った表情をしています。この時代は近代化という希望の裏に慣れ親しんだものが失われていく喪失の体験が幾重にも重なる時代です。印象派が誕生した背景には変わらないものを残しておきたいという意識が働いていたのかもしれません。

その他の作品について

 今回鑑賞して非常に心を惹かれたのがモネ(Claude Monet)の「秋の効果、アルジャントゥイユ」とルノワールの「春、シャトゥー」です。さすがの巨匠二人ですが、いずれも自然の動きが感じられるような繊細でかつ動的な作品でした。また、スーラ(Georges Seurat)の「クールブヴォワの橋」は点描画という全てドットで製作された印象的な作品です。いずれの作品も写真では伝わらない迫力があるので、是非足を運んでみてください。

 余談ですが、10年ほど前と比べて近現代の作品の展覧会が増えている気がします。以前はもっとルネサンス期の作品に触れる機会が多かったと記憶しています。印象派の作品はホッと一息できる作品が多くありますが、その展示が増えたというのは現代人の心境を現しているのでしょうか。

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