はじめに

 2021年9月より東京都美術館にてゴッホの絵画を中心とした展示を行なっています。コロナ禍の中にあって、ここまで大規模な企画展が開催されたことは、とても凄いことだと思います。早く日常が戻るようにとの願いも感じられますね。

ヘレーネ・クレラー=ミュラー(Helene Kröller Müller (1869-1939))

 今回の企画展のタイトルになっているヘレーネはオランダで資産家の夫を持つ女性です。夫アントンの協力もあってゴッホの作品に莫大な資金を投じて収集していきます。そのコレクションがゴッホの魅力を後世に伝える役割を担うことになったことから、無名であったゴッホの立役者と言っても過言ではありません。そして、自らの名前を冠したクレラー=ミュラー美術館の初代館長に就任し、翌年の1939年にその生涯を閉じることになります。

 ヘレーネの葛藤やゴッホとの出会いを描いた映画「ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」という作品もあるようです。ご興味があれば是非ご覧ください。

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh (1853 - 1890))

 ゴッホは元々、教会の牧師を目指していましたが上手くいかずに、弟テオの誘いもあり画商の世界へと入ります。しかし、商売人としての才能はなく、またもや挫折をしますが、画商の世界で触れることになった絵画に魅了され画家を目指すことになります。とても繊細な方で、また周囲の影響を受けやすい方でもあったのだろうと思います。

 我々日本人の間でもゴッホは有名な画家ですが、驚くべきことに彼の画家としての人生は10年程度しかありません。僅か10年にも関わらず、彼は自分の画風を変え、興味の対象を変え、濃厚な時間を過ごします。最後は画家が集まるアトリエを南仏アルルに作ることを考えますが思うような結果とはなりませんでした。なお、アトリエとなった黄色い家を描いた絵画も展示されています。我々は彼の進む未来を知っているためか、この夢の詰まった家を描いた作品には大きな絶望と悲壮を感じてしまいます。

 その後、ゴッホは精神的な不調をきたしたこともあって闘病生活に入ります。彼のすごい所は入院生活の中にあっても自身の絵画を発展させたことです。療養院の庭や糸杉をモチーフにして代表作ともなる作品を完成させるのです。

 なお、ゴッホの生涯については、過去にも紹介をさせて頂きました。是非合わせてご覧ください(参考:ゴッホ展)

ゴッホ絵画の色彩の変遷

 彼は当初、素描と言う鉛筆デッサンに没頭します。モチーフになったのは、農村で働く人々です。決して裕福な生活と言えない日々を捉えたその作品はどこか儚げでお世辞にも楽しそうな絵ではありません。彼は「描きたいのはセンチメンタルなメランコリーではなく、真剣な悲しみなんだ」と言う言葉を残しており、人々の生々しい苦しみに大きな関心を抱いたのでしょう。

 オランダに移ってからの作品は油彩となりますが、素描時代の重々しさを引き継いだ部分もあってか黒を基調とした暗い作品が多く作られました。これは当時の流行でもあったハーグ派の影響でもあるとは思いますが、ゴッホ自信の重々しい気持ちを反映していたことが想像に難しくはないでしょう。この時代に描かれた鳥の巣のモチーフは彼の内的世界を象徴しているようにも思いますので、後述致します。

 そして、ゴッホはフランスに移ります。フランスでの出会いはゴッホの絵画に革命を起こしたはずです。絵画に色が入るようになったのです。印象派の影響や点描画の技術を取り入れ、後の彼の代表作へと繋がる足がかりを得ます。明るい絵が多いですが、写実的で技術の習得にのめり込んだ時期がこのフランス時代だったように思います。

 次に南仏アルルへと移ります。アルルでは大地の黄色の美しさに魅入られて、キャンバスいっぱいの黄色い絵を描くようになります。黄色の色味を微妙に変えて、濃淡を作り作品にしていくという手法は彼の発見だったようです。この時期の絵は生命力に溢れ、全てが生き生きと描かれていますが、過度に躁的な彼の心境を表しているようにも感じられます。

 そして、サン・レミの療養院に入院し彼の作品は庭の樹木を描いたものが多くなり、緑がメインカラーとなっていきました。作風は輪郭線が太くコントラストの激しい作品となっていきます。ゴッホは浮世絵に興味を示し、その影響を指摘する声もありますが、太い輪郭線によって周囲と混ざり合わないという境界の強さを彼が保とうとしているようにも感じてしまいます。

作品のテーマ

 彼の10年間の作品は一貫して生命を表現していました。悲しむ人間の絶望や悲哀から始まり、その人間が作ったものを写実的に描き、続いて大地や太陽という大いなるものを理想的で完全なものとして崇めます。そして、自身の不調を感じながら樹木が育つ様や個として存在する佇まいを描きました。この描画の歴史は彼が絶望から救いを求めて彷徨った経過であるようにも思います。ゴッホは「信仰や宗教はいつか朽ち果てる。しかし、農民の生と死は同じように繰り返す。草花が芽生えては枯れていくように」と話していたそうです。生きることの無情に救いを求め続けていた心模様を感じますし、農民の家や鳥の巣などのモチーフも安定した居場所を望む心を映しているような気がしてなりません。

ヘレーネとゴッホは何に響き合ったのか

 今回の企画展のタイトルです。ゴッホの生々しい絶望、そこから抜け出そうとする切実さ、このような点がゴッホの作品の魅力であると思います。人物から自然へとモチーフを変えていった彼の過ごし方には、社会から除け者にされ続けた体験をも表現していると思います。

 ヘレーネはどうだったのでしょうか。彼女がなぜ、そこまでゴッホに魅了されたのかについては様々な解釈があるようですが、ゴッホの生命の輝きを追い求める姿勢に共鳴したという指摘があるようです。物質的豊かさや社会的地位を手にしたヘレーネですが、彼女はより生々しく生命の実感を手にしたかったのかもしれません。ここには実存的欲求への希求が見られ、信仰への葛藤や物質的世界へと移行する破局不安が背景にあることが推察できます。そして、彼女自身の人生にも病魔という絶望があり、信仰や豊かさでは得難いものがあることを知っていたことも影響しているのでしょうか。 

おわりに

 ゴッホの作品は、彼の生き様や苦悩を知って初めて見えてくる部分があり、人間であれば逃れられない根源的な恐怖とそれに抗おうとする人間臭さが隠されています。観覧者はそのメッセージに気付くことで、彼の作品が我々の心を激しく動揺させることを知ります。我々が日々否認している恐怖や疑問を刺激するのが彼の作品なのかもしれません。

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