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はじめに
2019年4月に上野の東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本2019」が開催されました。7月からは愛知県豊田市でも開催されるようです。鑑賞してきた感想と思うところを少し書き留めておこうと思います。
画家と開業心理職
当然、絵画と心理学やカウンセリングの間に直接の関係はないのですが、画家の生活や在り方というのはどこか開業する心理職と似ているところがあるように感じています。画家はアトリエを構え利益を出しつつ後進を育てるという現実的な側面と、自分の情緒的世界に浸り、ときには非現実的な感覚に目を向ける側面を持つことが必要だからです。これは心理職の二律背反の世界感に通ずるものです。
現実と非現実の間に生きること
カウンセリングでは現実適応を目指しつつも、自分気持ちに心を開いて空想や非合理さに気付くことが目標になることが少なくありません。あるいは、この両側面との間で折り合いをつけることを目指す視点がカウンセリングの独創的な部分とも言えるのかもしれません。画家の生き方を知ることは、自分の情緒に目を向けつつ現実世界を生きる感覚を得る上でもヒントがあるのではと考えています。
しかし、画家にも色々な方がいます。特に情緒や空想が支配する非現実的な側面に没入している方も少なくはないでしょう。現実との間でのバランスを取ることが難しくなった画家の方の人生は、私たちにその苦しみを伝えてくれることがあるように思います。
クリムト展を鑑賞して
それでは、本企画展についての感想などを述べさせて頂きます。先にお詫びをしておくと、絵画については素人ですので技術的なことや歴史的意味などは分かりませんのでご容赦ください。
クリムトの人生
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862~1918)はウィーンの画家で、僅か17歳で自身の弟と工芸学校の友人の3人で作品の請負を始めます。卒業後に芸術家商会を設立し、1897年にはウィーン芸術の保守的な在り方に不満を感じる若手を中心にウィーン分離派を結成します。この若者達を取りまとめたのがクリムトであったようです。とても行動的な性格であるように感じます。
別のエピソードでは、1894年からウィーン大学の大講堂で「医学」「法学」「哲学」をテーマにした天井画の製作を依頼されますが、大学側の意図と異なる視点で作品を作成し大論争に発展し、1901年に契約破棄となりました。アトリエでは常に何人ものモデルとなる女性が寝泊りをしていたためか、クリムト自身は生涯独身ですが何人ものお子さんがいたようです。
さて、このような彼の人生を概観すると、自分の信念を貫く意思の強さを感じる反面、安定感や倫理観などの社会的な感性との間でバランスをとることが苦手な様子を感じます。
クリムトの作風
クリムトは人物画を多く書きました。特に女性の絵が多いです。当時ウィーンでは日本絵画がブームとなり(ジャポニズム)、クリムトの研究と製作にも大きな影響を与えたようです。素人目で眺めてもクリムトの絵には本当に様々な画風がありました。写実的な絵から印象派のような描写、淡いタッチからコントラストが強い作品などです。これだけ、様々な方向性で書かれた絵を見ていると彼の探究心が伝わってくるようですが、反面、悩みや戸惑いを強く感じながら人生を過ごしてきたのかなとも連想してしまいます。
どの絵も繊細で美しい絵なのですが、どこかに哀愁というか破壊的というか、そんな印象を受けることは共通していました。本展のチケットにもなっている「ユディト」は金箔が使われておりとても華やかです。その他の女性の肖像画も華やかな色遣いで表現された絵が少なくありません。ですが、何故か切なさや恐怖のような感情が掻き立てられ、見た目の雰囲気とは異なる想いが作品に内包されているように感じられるところです。先のウィーン大学の天井画もそうでしたが、クリムトは「good」に安心を見つけることが出来ず、物事を批判的に眺める傾向が強かったのかもしれません。ただ、華やかである、美しくあるというだけでは納められないメッセージが込められているのでしょうか。
死を恐れた人生?
弟の死や息子の死などから「生命の円環」というテーマを見出したように、死の影に怯えて圧倒される気持ちを抱えていたようにも思います。そう考えると彼が生涯独身を通したことも分かる気がします。結婚をして家庭を作っていくことは生産的な活動ですが、死を身近に感じて怯えていたクリムトは将来を前提とした家庭や子育てを受け入れることに大きな戸惑いがあったのかもしれないと思うのです。
クリムトは自分の心情を全然語らなかった人物だったようで、実際のところは彼がどのようなことを考えていたのかは分かりません。本人も自覚はあったようで「口下手なので私を知りたければ絵を見てくれ」と言っていたようです。
おわりに
クリムトの絵を見ていると、様々な対立する感情が湧いてきます。これはクリムト自身の葛藤が作品に表現されているように感じます。冒頭で一貫した意思のある人物と記載しましたが、彼の経歴と作風のこのギャップは非常に興味深いものです。ただし彼の風景画は非常に安心できる作風でした。この人はなぜこんなにも肖像画を描いたのか、不思議な気もします。
なお、クリムトについては別の記事でもご紹介しています。よろしければご覧ください。