はじめに

 いじめの問題は誰しもが耳にしたことがあるでしょうし、新聞などで報道されることが近年ではとても増えているように思います。いじめ自体はおそらく人類が始まってからずっと続いているものでしょうから、その根本的解決は非常に難しいものです。

学齢期のいじめ

 児童生徒のいじめは「いじめ防止対策推進法」という法律でその定義と防止対策、発生した際の学校の対応方法などが規定されています。文部科学省のホームページで、いじめの定義を確認すると「(抜粋)児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等、当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となっ た児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義されています。

 いじめの定義は時代の流れで変化をしてきた経緯がありますが、以前は明らかな加害があったという客観性や一方的かつ継続性があることなどが要件として組み込まれていました。現在の定義では客観性は必ずしも必要ではなく、当該児童生徒が苦痛を感じているという主観性が判断の基準となり、一方的かつ継続性という文言は削除されています。つまり、「一度の関わりで、かつ加害者に明確ないじめの認識がなくとも、被害者が苦痛を感じるようであればいじめである」ということになります。

いじめの重大事案

 現在の定義は昔に比べていじめの範囲を広く取っていますが、やはり大きく問題になるのは明らかな犯罪行為を伴ういじめです。これは傷害や恐喝などを伴うものであり、「いじめの重大事案」と規定されています。また、いじめをきっかけに被害者が不登校に至る時は「不登校の重大事案」と規定されています。

 スクールカウンセラーなどの立場で学校に関わっているといじめの問題には必ず遭遇します。統計をみると、平成30年度の校種による認知件数の割合は、小学校では1校あたり21.3件、中学校では9.4件、高等学校3.1件、特別支援学校で2.3件となっています。ただ、教員によっていじめの是非の判断が異なってしまう面は否定しきれず、このことが統計結果の読み取りはなかなかに難しいものとしています。現に、いじめの認知を行うことが教員としての評価を下げるものではないという告知を文科省が行ってから、認知件数は一気に増えました。認知件数に恣意的な側面があることは否定できません。報道などを見ると誰にも相談をしておらず、いじめを苦に自殺をしてしまう児童生徒の存在もあることから、その実数を把握することは困難といえるでしょう。現在の定義に基づけば、全ての児童生徒が1度はいじめを受けているのではないでしょうか。

いじめの構図

 さて、前置きがだいぶ長くなりましたが、いじめの関係というのは搾取・被搾取の関係が前提にあります。現在のいじめでは明らかな力関係があることは必要条件とされていませんが、相手が苦痛を感じるという関係は何らかの力関係が働いていると考えて然るべきです。それは、金銭の搾取を目的とするような具体的なものから、不満の捌け口という役割を被害者に求めたり、被害者を貶めることで自身の自尊感情を高めようとするなどの加害者側の一方的な事情に他なりません。

 一方、いじめの構造そのものは昔から大きく変わってないように思います。いじめには被害者、加害者の他に傍観者の影響が大きいと言われています。直接的に加害する子に加勢することはないが、被害者を助けることもしない子どもの存在です。どちらの立場にいるのかが分からない傍観者の存在も、苦痛の最中にいる被害者にとっては自身に加害をするのではないかという恐怖の対象になりますし、眺められているという構図が被害者をより屈辱的な気持ちにさせます。現代社会ではネットによるいじめが起こるようになりました。加害者は児童生徒の一部であることが多いですが、その背景にあるコミュニティ全体が被害者に襲いかかることになる様子は、傍観者の存在が無視できない影響を与えていると言えます。昔と今との変化と言えば、インターネットの普及によりこの構図が以前よりも見えにくくなったことでしょうか。

大人のいじめ

 さて、いじめというと子どもの問題として扱われることが多いように思いますが、大人でもいじめはあります。報道では「ハラスメント」などと表現されることがありますが、学校が会社になっただけで、その内容はいじめの構造と変わらないことも少なくありません。会社では成果が求められるため、「成果が出せないから」などの建前が成立しやすく、いじめが正当な指摘にすり替えられてしまう可能性もあります。その意味では学齢期よりも実態の把握が難しいのかもしれません。

長期的な影響

 いじめの影響は生涯に渡って続くものと考えられます。成人の方でも学齢期のいじめの経験を語られる方は決して稀ではありません。被害体験とはそれほどに心に刻まれるものなのでしょう。いじめの長期的な影響について考えてみると、

  1. 慢性的な不安や抑うつ感などの気分の悩み
  2. 理不尽な暴力に対する怒りや恐怖の感情が、いつまで経っても忘れられない感情に関する悩み
  3. 対人場面での緊張が高いことや他者のことを信頼できなくなってしまうなどの対人関係の悩み
  4. 自分の価値を低く見積もってしまう自尊感情低下の悩み

などが考えられます。それぞれの程度は人それぞれですが、どれも程度が大きくなると医学的な診断の対象となる場合があるものです。そして、これらの反応はPTSDの症状にも該当するでしょう。

二次的被害

 いじめという出来事が生々しく記憶に残っていると、フラッシュバック体験が起こることも十分に予想されます。被害者の方はその当時の時間に取り残されてしまっていると言えます。対人場面でも他者への警戒心が解けずに維持されたままというのは、いじめを受けた当時の気持ちから抜け出せていないことを意味しています。悲しいことに、頭ではもう終わったことと理解しているため、その時間から抜け出せない自分を責める気持ちも生じやすくなってしまいます。少し、想像して頂きたいのですが、このような状態が10年、20年と続いたらどうでしょうか。おそらく被害者の方のパーソナリティを形成するのに十分な期間であるはずです。つまり、「人付き合いが苦手な人だ」「どうも暗くて近寄りにくい」という評価を他者から受けやすくなってしまうということです。そして、事情を知らない第三者にこのことを責められる可能性は高くなります。これは二次的な被害と言えるでしょう。

いじめの記憶を振り返ること

 カウンセリングの中では自尊感情を取り戻し、そして当時の怒りや恐怖を表現する時間を経て、これからどうするかという話をしていくことになると思います。時間が経っても当時の感情を生々しく思い出してしまったり、二次的な被害に苦しんでいるということであれば避けては通れない過程となるでしょう。しかし、カウンセリングの中でこのことを扱うタイミングはカウンセラーとよく話しあったほうが良いでしょう。なぜなら、あなたの本当に辛い体験を今に呼び起こすことは辛い時間を再びあなたに強いるからです。その事を十分に話しあう準備の段階を持つことは大切です。勿論、あなたが担当のカウンセラーに話しても大丈夫と思えることも大切であるため、信頼関係を醸成する時間も準備の段階には含まれます。辛い過去の体験を語る中で、一緒に向き合ってくれるカウンセラーと巡り合えることは、いじめを受けた時間から一歩進むために不可欠なものとなるはずです。

参考

文部科学省ホームページ
:「いじめの問題に対する施策」
:「平成30年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」

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