はじめに

 我々は日常的に他者と言葉を交わします。会話とは自分が「はなす」ことと、相手の話を「きく」ことから成り立っていることは確認するまでもないでしょう。文字にすると簡単なことですが、カウンセリングの場では親子間やカップル間での「話をきいてくれない」という相談は日常的に持ち込まれており、会話の悩みを抱えている方は相当に多いと感じるところです。そこで、今回は「きく」という姿勢に焦点を当てて考えてみたいと思います。

「聞く」と「聴く」

 さて、「きく」という言葉には二つの漢字があります。「聞く」と「聴く」です。前者は必ずしも聞き手が積極的に耳を傾けることは求められておらず、音声が耳に届くという機能的な働きを指します。一方、「聴く」には話し手のことを理解しようする聞き手の積極的な姿勢が含まれています。

 先程の例は漢字で表記すると分かりやすくなります。「話を聴いてくれない」という話し手の訴えに対して「聞いているよ」という会話をしているのです。「きく」の意味にズレが生じていることがお分かり頂けるのではないでしょうか。

聴く姿勢とは

 「聴く」について考えていきましょう。この姿勢は実はとても難しいものです。なぜかと言うと相手を理解するように聴くというのは、究極的には相手と同じ気持ちを感じられるようになるということであり、その状態になるまでには長い「聴く」時間を要します。多くの場合には長時間に渡って耳を傾け続けることは難しく、自分の意見を言いたくなったり、話を切り上げたくなるものです。理由は様々ですが、話し手の主張がどうしても受け入れられなかったり、時間がないことなどの理由が挙げられます。

 聴き手が聴き方や自身の心の動きに自覚的であれば良いのですが、「聴き方」が分からないために、話し手への反発や拒絶が生じることがあります。話し手も聴き手の事情が分からないので「きいてくれない」となり、このやりとりが繰り返されれば二人の関係は大きく揺れることになります。

聴くことで生じる気持ち

 つまり、聴き手は話し手の話の内容だけでなく、自身の内面に生じていることにも意識を向けておくことが必要ということになります。すると、聴き手には様々な気持ちが湧いてくることになりますが、それは、どんな気持ちでしょうか。以下で考えてみましょう。

話をまとめたい

 人の話を聴いているとまとめたくなる欲求が湧いてくることは少なくありません。このこと自体は悪いことではなく、特にビジネスの場では話し手の話題から要点を抽出してまとめられることは、評価されるべき能力です。

 しかし、日常の会話はビジネス場面とは目的が異なります。何かの結論を導くのではなく、会話をしているという時間そのものが目的となっていることが往々にしてあるはずです。そのため、話をまとめずに、会話をしているという時間を過ごそうという意識が必要になります。もう少し具体的に言うと、話の流れに身を任せる、話の結論は行き着いた時に考えるという態度でしょうか。

 忙しい平日などでは、我々はプライベートの時間もビジネスモードが続いてしまうことがあります。このことが親子間や夫婦間での「聴いてくれない」という訴えに繋がっていることも稀ではないようです。端的に言ってしまえばオンとオフの切り替えができれば良いのですが、現実的には「聴く」ための時間を確保することは、なかなか難しいことなのでしょう。

話を聴いていると苦痛を感じる

 このこともよくあるかもしれません。話し手の要因と聴き手の要因に分けることができます。前者では、話し手の話し方が攻撃的であったり分かりづらくて共感できないということがあるでしょう。この場合は会話を続けることでかえって関係を破壊してしまう危険があるので、聴き手の方から不快感を示したほうが良いと思います。後者の場合は時間がない、気持ちの余裕がないなどの一時的な事情から生じることもありますが、聴き手の情緒が話の内容によって激しく揺さぶられているために苦痛を感じるということもあります。

 聴き手の情緒が揺さぶられる場合というのは、例えば、相手にネガティブな思いがあり話を聴く気になれないとか、話される内容が自分の体験と重なって辛いなどが挙げられます。一種のトラウマ反応と言えますが、聞き手も大きく気持ちを揺さぶられるため、聴く姿勢を保つことは大きな苦痛になります。

考え方が異なる

 相手の印象が悪くなくとも人間ですから考え方や価値観が異なる時があります。このような時は聴く姿勢をとったとしても、どこかで反対意見や相手を嗜める発言をしたくなるはずです。「あなたの気持ちは分かったけど、私はこの話はこういう風に考えている。だから、全てに同意することはできない」と伝えた方が良いこともあるでしょう。話し手があなたの考え方を変えようとしてくるのであれば、それは操作の意図が含まれていますから「話をきかない」とは別の問題になります。

聴くことは一人にしないこと

 人は何故話を聴いて欲しくなるのでしょうか。会話がただの伝達の手段であれば、「聴いてくれない」という訴えはこれほど一般的なものにはならないはずです。考えられることの一つは、相手に理解してもらえたという感覚が私は一人ではないという安心感を生じさせるからだと思います。「聴く」ということは、聴覚情報を漏らさないように気を付けることではなく、相手を一人にしないという思いやりを伝達する行為です。すると、「聴いてくれない」と言われた時は「思ってくれない」というメッセージとして受け止めるようにすると、お互いのズレが少なくなるかもしれません。

聴き手が意識すべきこと

 そうは言っても、どうしても落ち着いて聴けない時はあります。それは当然です。聴けない時は「今は無理」とハッキリと伝えた方が良いでしょう。なんとなく「はいはい」と聞いていると話し手の怒りは溜まりますし、その様子を見て聴き手もイライラしますので良い結果になりません。「今は落ち着いて話が聴けなさそうだから、また今度でもいい?」と切り出せると良いですし、それが言える関係性を作っておくこともまた必要でしょう。

 ただし、そのような切り出しをしたのなら、どこかで聴き手から「こないだの話だけど…」と話を聴けますよサインを示すほうが良いでしょうね。ずっと、何も返さないことは相手の不信感が募ることになります。

話し手が意識すべきこと

 ここまでは聴き手の話をしてきましたが、少し話し手側の話題にも触れておきます。「聴いてくれない」という主張は話し手にも気を付けるべき点があります。それは、「聴く」ということは人によっては多大なエネルギーを要するため、「聴いてほしい」ということは話し手に労をお願いしていることと認識することです。「聴いてくれる」が当然のことだと思うと相手の都合に目が向きませんし、聴いて貰えないことへの不満をより大きく感じることになります。

 勿論、非常に気持ちが揺さぶられて、今すぐにでも話を聴いてもらいたい場面は誰でもあります。その時は聴いてほしいと主張して良いと思います。ただ、「今、自分は気持ちが揺れてしまい、話を聴いてもらって安心したいんだ」という言葉を最初に添えられると良いかもしれません。

 お互いに気持ちよく考えや気持ちを伝え合える話し方をアサーションと言います。聴き手の姿勢を指摘するだけでなく、話し手にも自分の気持ちが聴き手に伝わりやすいようにと意識することもまた大事なことです。

参考:アサーションを用いた関係づくり

それでも上手くいかない時

 話し手と聴き手が上記の内容を意識してもどうしても上手くいかない時があります。その場合は、それぞれが自分のことを振り返ることが必要かもしれません。聴き手は話し手を一人にしても良いと思っていないだろうか、話し手は聴き手の労をしっかりと理解しているのだろうか。振り返っても改善する気持ちが湧かないのならば、お互いの関係を将来的にどのようにしていくかも併せて考える必要があるかもしれません。

参考

・平木典子(2000). 自己カウンセリングとアサーションのすすめ, 金子書房.

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