はじめに

 我々は日々誰かと過ごし、やりとりが生じています。その中には友好的で楽しく過ごせるやりとりもあれば、何らかの力関係が働き、どちらかが苦痛を感じてしまう関係もあります。今回はどうも自分を肯定して貰えない、認めて貰えないという人間関係に焦点を当てていきます。

認めて貰えない人間関係で生じる怒り

 やりとりの中で生じる、否定されたり相手にして貰えないなどの体験は、自分が軽く見られているとか拒絶されているという感情を作り、自分の存在が認めて貰えないという考えに至ります。このとき、自分と相手との人間関係は対等なものではなく、距離や上下関係があるものとなっていることでしょう(補足すると、上司や部下の間でも一人の人間としてお互いに認め合っているという関係は当然あります。ここで言う上下関係は片方が人間として尊重されていない人間関係を指しています)。

 自分を認めて貰えないことで生じる怒りの背景には相手と対等の立場でいたいという期待が働いており、期待が叶わず不当に扱われることによって自己愛は傷ついていきます。相手に認めて貰いたいという気持ちは人間の当然の感情なので、認めて貰えない人間関係というのは大変苦痛なものです。この苦痛を打ち消し傷ついた自己愛を修復するためには自分の正当性を確認する必要があり、その反応が怒りの感情として現れます。

怒りによって自分が守れなくなることも 

 残念なことに、相手と対等な立場となることが難しく、認めて貰えない体験が長期間に渡っている方もおり、このような方は健康な自己愛という心の機能が大きな影響を受けています。例えば、いじめ被害を長く受けた方の中には自分が尊厳ある存在であり、自分の心は尊重されて然るべきという前提が壊されていることがあります。あるいは虐待を受けて育ってきた方の中には健康な自己愛を育てる機会を逸してしまい、自分でも自身の存在を認められないという方もいらっしゃいます。一番大事なことは、このような苦境に立たされると、人に受け入れて貰えないことへの怒りが自覚できなくなっていくことです。長期間に渡って続く認められない体験は、怒りによって自分を守る力を損なってしまうのです。

 潜在的にこのような悩みを抱える方ですと、まずは自分の中にある怒りに気付いて触れられることを目指し、壊されてしまった、あるいは育てられなかった自己愛を作り直すことが必要になります。

怒りに代わる心の反応

 長期に渡って他者に認められない環境に身を置くと、自分の視点と相手の視点を重ねてしまう同一化が起こります。傷付きを癒すことや相手に認めて欲しいと期待する気持ちを放棄し、相手に沿うことで自分の心を守ろうとします。これは怒るという反応と全く異なるものです。

 何らかの傷付きを経て不登校などの不適応に至ったお子さんの中には、自分が教室でのヒエラルキーが下であると自嘲気味に語ることがあります。大人でも同様に自分の仕事が認めて貰えない時や、自分が職場で受け入れて貰えないことが長期間に渡って続くと、自分の価値を認められなくなり、自己否定の気持ちが強くなるでしょう。認めてくれない相手と同じ視点を持つことで、心の葛藤を極力回避しようとする働きが起こっているのです。もちろん、このような方法は一時的には有効なこともありますが、長期間に渡れば主体性や自分の価値を大きく損なう危険を含んでいます。

反復強迫の側面を持つ人間関係の形成

 不思議なことに自分の存在を認めて貰えない体験が続くことで、そのことが日常になってしまい、他者の好意や優しさを自分から避ける方もいます。誰かの気持ちに触れてもどこかで拒絶されるのではという不安が喚起されることもありますし、自分の価値を下げて傷付きを避けてきたため、認められる体験が均衡を崩して苦痛を再体験することに繋がるからかもしれません。このような心の動きは認めてくれる他者を自ら遠ざけてしまう状況を作り出し、認めて貰えないという状況を繰り返してしまうことにもなります。

受け入れて貰えない怒りとは

 さて、ここまで書いてくると、自分を受け入れて貰えないことに対して怒れることが、実は健康な心の機能が維持されている証拠であるということが伝わったかと思います。怒れるということは自尊心や他者への期待などの健康な自己愛を保てているということに他なりません。怒りは不当な扱いから自分を守るための大事な感情であり、自分が認めて貰えないことには、本来怒りを感じるはずなのです。

カウンセリングの場では

 多くの場合は、人間関係が上手くいかないことや抑うつ的な感情を訴えるということが相談のスタートになることが多いように思います。なぜなら怒りを自覚できているというのはある程度健康な心の機能が保たれているからです。カウンセリングが進むと徐々に自分の尊厳や自信が回復していきます。つまり健康な自己愛が作られていきます。すると、認められないという不当性に対して当然の怒りが湧いてくることになります。この怒りの扱いは大きな苦痛を伴うこともありますが、まずは、怒れることを目指すことが最初の目標になるでしょうか。そして、怒りの感情が人間関係への期待や見直しという経過の中でその居場所を探していくことになると思います。