はじめに

 自分の大切な人を自分の思う方向に誘導しようとする気持ちや、相手のことを思うがあまりに全てを知っておかないと気が済まないという気持ちは、程度の差こそあれ多くの人が理解できる部分があるのではないでしょうか。しかし、想いが過度になれば相手は勿論、束縛をする当人にとっても辛い悩みとなります。

相手を束縛するとは

 束縛が強いという言葉はいつの間にか皆さんが、共通のイメージを持つ言葉になりました。始まりは若者の恋人関係を表す言葉だったと思いますが、今では若者に限らず大人や家族関係にも当てはめることが出来る表現となったように思います。

 相手を束縛するという行動は、相手の行動の逐一を把握しようとして、過度に干渉する動きに代表されます。そして相手が自分と同じ気持ちにならないと激しい怒りや絶望に襲われることが特徴でしょう。

背景にある気持ち

 なぜ、このような行動が生じるのでしょうか。落ち着いてから自分の行動を眺めると、干渉しすぎたとか、やりすぎたと振り返る方も少なくはありません。しかし、その瞬間は束縛したり干渉したりする気持ちに抗うことは難しいようです。周囲からは自分勝手とか傲慢と映ることも少なくありませんが、これは本質ではないでしょう。

 束縛したい気持ちの背景にあるものは、相手と親密に繋がっていたいという気持ちです。この気持ちには何ら咎められるべき点はありません。相手が自分と違う考え方や自分の知らない面を持っていることは自分と相手が別の人であるという気付きであり、人によってはこの分離はとても大きな不安をもたらします。些細な意見のズレに関係が終わる不安や、自分の価値が失われる不安を感じることもあるのです。この不安に抗うためには、相手と常に繋がっている必要があり、このことが全てを把握しようという行動につながると考えられます。

自分に目を向けて欲しいという悩み

 人によっては、自分にもっと目を向けて欲しいという気持ちを持つ方もいるかもしれません。相手のことを束縛することで、相手は常に自分を意識することになります。相手の目が自分からふと逸れた時に、関係が終わることや自分が一番ではなくなってしまう恐怖が生じるのでしょう。自己顕示欲が強いと言った簡単な話ではなく、ご本人なりの切実な理由があるはずです。

参考:注目を求めずにはいられないことへのカウンセリング

人間関係への影響

 しかし、このような行動が人間関係に良い影響を与えないことは想像に難しくないでしょう。それぞれが自由に心を漂わせ言葉を交わすという時間を持つことが出来なくなるため、相手との関係は非常に窮屈で息苦しいものとなります。窮屈さは不満やイライラを喚起させて衝突することも増えるかもしれません。

 すると、人間関係が長続きすることが難しくなり、どこかで関係の断裂が起こります。相手と繋がっていたいという気持ちからの行動であったのに、反対に関係が途切れてしまうのです。束縛するという行動は非常に関係破壊的であり、発展していくことの難しい閉鎖的なものであると言えるでしょう。

束縛に伴う苦しさとは

 束縛というと束縛される側の苦しみ(後述)が指摘されることが多いですが、束縛する側の悩みや悲しみも相当なものです。ここまでで随分と書いてしまいましたが、その苦しみは自分との関係がいつ切れるか分からない不安に常に苛まれることと、自分が望む人間関係をいつまで経っても手に入れることができないことではないでしょうか。

 常に相手との関係に不安と疑いを持ち、相手を自分の目の届く範囲に留めることに腐心することは気が休まることはありません。自分を大切に思って貰えているとか、お互いに信頼し合っているという感覚が得られないことは足元がいつまでも不安定でいることと同意だと思います。

医学的にはどのように考えるのか

 これらの不安を抱えて心理療法を求める方は珍しくはありません。中には人間関係の破綻から気持ちが不安定になり心療内科を訪ねる方もいらっしゃるでしょう。時には依存性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティ障害の診断を受ける方もいらっしゃいます(参考:パーソナリティ障害の悩みと影響)。また愛着障害などを抱える方ですと、これまでの人間関係の経験が相手とのつながりを求める行動を過剰なものにすることがあるかもしれません。

どのように抑えているのだろうか

 束縛したいという気持ちを持つ方は、この気持ちをそのまま相手にぶつけてしまうと関係が壊れてしまうことを知っています。そのため、自分の行動を抑えようと頑張っています。例えば、自分の時間を持つように予定で埋めるとか、相手の気持ちを想像して負担をかけないように関わりを抑えるなどです。また、自分に自信を持つために自己研鑽をされる方もいらっしゃいます。

 しかし、多くの場合はこれらの方法では不安の解消には繋がらないようです。一時的には束縛する行動を抑えることができても、どこかで我慢を伴う方法ですから耐え続けることが苦しいのでしょう。

束縛をしてしまう悩みへのカウンセリング

 先程も述べましたが、相手を束縛したいという気持ちは我々にとって馴染み深いものだと思います。幼少期に保護者との間で母親を自分の思う通りに動かしたいとか、動いてほしいという体験をしているはずだからです。年齢とともに母は別の人格を持っており、そのような願いは叶うことはないことに気付くのですが(脱錯覚と言われます)、この過程が丁寧に扱われていないと、成人期でも残存してしまうことがあるように思います。なぜなら多くの場合で、この話を続けることによって親との関係の話に行き着くからです。

 まずは自分が何を求めているのかを眺められると良いでしょう。相手からどうして欲しいのか、家庭でどうして欲しかったのかなどを話題にすることが大切です。自分の欲しい物があるが、それが手に入らない絶望に立ち戻り、この時間をカウンセラーと共有して耐え抜くことが必要になるかと思います。すなわち不安に持ち堪える心を作っていくという過程なのです。

おまけ

少し、違う視点からも考察を加えたいと思います。

束縛される苦しみ

 当然、束縛される相手もなかなかにしんどい時間を過ごすことになるでしょう。自由がなく窮屈な気持ちを感じ、あなたを大切に思いたいけど煩わしく思う時間の方が長くなってしまいます。自分に向ける気持ちが不器用な愛であり悪意ではないことも分かっているのですが、どのように関係を変化していけば良いのかが分からず、苦しみの中に2人で停滞することになります。しかし、この苦しみもまた真の意味では共有されません。

束縛に苦しさを感じない人

 束縛する当人も苦しいという視点で書いてきましたが、中にはそこに何らの苦しみを感じない方もいます。自己愛の病理を強く抱える方や反社会性パーソナリティ障害の方などが該当します。このような方からの束縛ですと、当事者同士で話し合って解決することは難しいかもしれません。第三者の存在をいかに介入させられるかを考えることが必要です。

参考:ナルシスト性格の特徴

これまでの事件

 束縛に関連した事件は数多く起きています。相手と一緒にいたいという気持ちから心中に至ったり、一方的な気持ちを募らせてストーカー行為に及ぶ方もいます。時に社会を震撼させる猟奇殺人事件などがおきますが、これらは相手を束縛することに倒錯的な快感を覚える方が加害者であることも少なくありません。

おわりに

 束縛をしたいという想いが本当の意味で叶うことは絶対にありません。しかし、親子関係や恋愛関係の尊さの裏に、この気持ちが横たわっていることに間違いはないでしょう。だからこそ、束縛をしたい気持ちを抱えつつ葛藤する悩みに出会うと対峙する側にも非常に切なく、強い悲しみが生じます。

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