はじめに

 いわゆる造語なのでしょうが、割と耳にすることが多い言葉のようにも思います。言葉そのものが状態を的確に示しているので、起こっていることがスッと理解されるのでしょう。

 ところで、「過剰適応」という言葉はいつ頃から出てきたのでしょうか。調べてみると1982年に福島章先生が「過剰適応症候群」という表現で社会人の就労についての指摘を行っているようです。その後、この言葉は社会人に限らず子どもにも使われるようになりましたし、会社などの外のコミュニティだけでなく、家庭内での適応に対しても用いられるようになりました。ただし、正式な医学用語や専門用語ではないので、定義が曖昧であることには留意しておく必要があります。まずは、この言葉が指すものを考えるところから始めましょう。

適応とは

 子どもでも大人でもコミュニティに属している以上、多かれ少なかれ周囲に併せてぶつからないように過ごす必要があります。この状態が適応すると言われており、個々人が環境に合わせて柔軟に変化できることを指しています。そして、環境に適応できることが現代では美徳とされていると言っても言い過ぎではないでしょう。適応障害という言葉があるように適応できないことは社会生活に支障をきたすという考え方が我々の文化には根付いているのですから。

適応の仕方

 しかし、どうやって適応するのかは人それぞれです。昔の日本社会では新人がお茶汲みや掃除をやらされる文化がありました。理不尽なことに腹が立つ人も多かったでしょうが、これを黙って行うことが適応だったのだと思います。この場合は物静かにして反発しないことが適応の要件でしょう。一方、最初から物怖じせずに過度に腰を低くすることなく、むしろ自分をさらけ出すことで環境に溶け込んでいく人もいます。これも一つの適応の仕方でしょう。やり方は人それぞれでしょうが、要は環境に馴染み萎縮や虚勢なくその場で時間を過ごせることが適応と言って良いのではと思います。

人への適応

 ここまでは環境への適応でしたが、もう一つ考えなければならないことが他者への適応です。苦手な人や嫌いな人は誰しもいます。その人にどのように合わせていくかも人によって違います。大きなトラブルが生じないように距離を取って接点を断つ方法もあれば、第三者にお願いして相手の態度に修正を求める方法もあるでしょう。なかには自分を相手に合わせることで適応を計る方もいます。この適応の仕方が今回の過剰適応の課題と関連する方法です。

過剰適応

 現場感覚ですと、過剰適応という言葉は、辛くても仕事としての役割を全うするとか、何らかの希望のために忍耐を続けることとは異なり、知らず知らずのうちに自分を相手に合わせてしまう在り方に使っているように思われます。気付かないとは言え無理をしているので、長期的に適応を維持することが難しく、疲労感、イライラ感、不快感などを生じたり、頭痛や胃腸の痛みなどの身体症状につながることもあるようです。しかし、この時点でも本人が過剰適応していることに気が付いていないということが問題であり、かつ事の本質の部分です。

過剰適応の心理

 自分が過度に合わせていることに気付かないということは、どこかで自分の存在を過少評価しているという可能性が考えられます。つまり、自分を抑えてでも相手を立てなければという自己犠牲の気持ちであったり、自分は相手に合わせてでも気に入られないと生きていけないという依存の気持ちであったりします。

 あるいは、自分の内面に触れることを避けるために他者の歩調に合わせて同調することで内面を見ないようにしていることもあるでしょう。この場合は自分の気持ちと向き合うことを避けるために自分の気持ちを排除しています。いずれにせよ、自分と相手の関係が対等な個と個の関係になっていないのではないでしょうか。

過剰適応へのカウンセリング

 すると、過剰適応へのカウンセリングのテーマは自尊感情を持てるようになることであったり、自分がどのように考えているかを俯瞰できるようになることが大切ということになります。自分と相手が対等だと思えるようになれば、自然と反発心が産まれます。カウンセリングでもカウンセラーとの関係の中で同様のことが生じます。最初はカウンセラーの言うことをその通りに受け止めていたけれど、徐々にあなた自身の気持ちを感じて、それをカウンセラーに言えるようになっていくはずです。おそらく、この段階まで来れば過剰適応によって生じる苦しさとは距離が取りやすくなっているのではないでしょうか。また、この過程で、なぜ自分が他者と対等であると思えないのかと言うテーマも頭をよぎっていることと思います。長期的にはこのことについて考えていく方もいらっしゃいます。

おわりに

 冒頭で過剰適応という言葉は分かりやすいと表現しましたが、このように書いてみるとあくまでも状態を表す言葉であるのに、そこに本人の意思が介在していると誤解されそうな言葉だとも思いました。過剰適応という字面ですと、本人が主体的にその状態を選んでいるようにも受け取られそうです。ご本人が選べずに自然とそうなってしまうことが苦しみの本質でしょうから、非自発的過剰適応症候群などの表現の方が正確なのかもしれませんね。長いですが。

参考

・福島  章(1982). 働きざかりの過剰適応症候群. 大和書房.