はじめに

 どんな職種でも仕事を覚えるまでにはそれなりの勉強が必要ですし、その中で専門書を手に取って勉強をしなければならない時もあるでしょう。特に医療系の資格職ではどのような書物と出会ったかが、その後の仕事に大きく影響を与えます。これはカウンセラーも例外ではありません。

カウンセラーの立場による選択

 多くのカウンセラーが何らかの理論的背景を持っていると思います。臨床心理士資格でカウンセラーを行なっている人であれば、精神分析、認知行動療法、支持的療法、解決志向などのそれぞれの拠り所があります。また、○○療法であっても、その中でさらに細かく学派が分かれています。全てを網羅することが出来れば良いのかもしれませんが、限りある人生の中ではそれは叶いません。そのため、自分が親しみやすい立場が必然的に定まっていくことになりますし、それが読書の選択につながります。

読書の種類

 さて、読む本は一般書から始まって専門書に進んでいきます。そして、学会から定期刊行される学会誌にも目を通していくことになります。これは概論を理解した上で応用的な理論に精通し、学会誌などの個別事例を参照して理論と臨床を繋ぎ合わせていくという職業人としての成長過程をなぞっています。学会誌については、学会員になることや内容を理解するだけの力を身につけていることが前提です。言い方を変えれば学会誌にアクセスできるだけの力があれば専門家と言えるのかもしれません。

 また、古典を読むこともとても大切なことです。特に精神分析の立場では理論が生まれた背景を理解していることは必須でしょう。歴史を追うことは理論発展の土台となった議論を知ることであり、各理論を批判的に見ることができるようになるからです。この目は自身の拠り所とする立場に万能的な空想を抱くことを阻止します。

読書の量と質

 これは、人によって大きく異なると思います。日々の業務に必要な理解が得られれば、それ以上は深めていかない人もいれば、常に新しい視点を求めて1週間に1,2冊を読み続ける人もいます。また、単純な量で言えば一般書はスラスラと読めるでしょうが、古書は読了までに何倍もの時間がかかります。どれほどの量を読んでいるかよりも、どのレベルのものを読んでいるのかの方が重要だろうとは思います。

読書との付き合い方

 カウンセラーの読書について、段階を追って考えてみました。折角ですので、マーラー(M. S. Mahler)の理論に沿ってカウンセラーの読書の変遷を見てみようと思います。

分化期

 カウンセラーがどのような立場でカウンセリングを行なっているにしても、これまで培われてきた歴史と理論背景を理解することは必要です。その方法は様々でしょうが、その中の一つに読書による理解と習得が含まれます。興味のある、あるいは必要に迫られた特定の分野の書籍を読み漁ることで記述的な知識を身に付けることが心理専門職としてのスタートとなるでしょう。

練習期

 このようにして自分の基礎となる部分が固まりますと、その分野の書物だけでは深まりがなくなっていきます。この段階に来るとカウンセラーは満足して読書をやめるか、活字中毒になっているかのどちらかかに分かれるように思います。後者の方は手元に書籍がないと不安になり、新鮮な刺激を受けられる書籍を求めて書店とネットショッピングサイトの海を彷徨います。そして、元々依拠していた立場とは異なる分野の書籍にも手を伸ばし始めます。この過程では今まで培ってきた理論や学派、指導をして下さった恩師に若干の罪悪感を感じますが、最後は好奇心が勝ちます。そして、自身のベースとなっている立場に新しい知識をどのように取り入れていくかの模索が始まります。

再接近期

 模索の期間を経るとカウンセリングでより柔軟な振る舞いができるようになります、端的に言えば引き出しが増えたということなのでしょう。当初とは全く別の道に進む方もいらっしゃいますが、元々の理論へと原点回帰し、その道を極める方向に進む方もいらっしゃいます。勝手な印象ではありますが、著名な先生方はやはり道を極める方向に進んだ方々だと思います。おそらく他の理論や立場も理解された上で、元々の土台となった理論を更に活かす方向へと上手に融合したのでしょう。他の立場を知ることで自身の立場の特徴とメリットに深い気付きを得られたのだと思います。

固体化期

 この後は、私も全くの未知の領域ですが、読み手から書き手へと変化をしていくようです。それは、既刊の書物を読み漁った上で、自身のオリジナルな理論を創造したことを意味します。書き手になるということは多くの読書を通じて得られた理論が、自身の中で折り合いを付けて整頓されているはずです。そこに到達するまでの読書量がどれ程のものなのかは今ひとつ想像がつきません。

読書をカウンセリングに活かす

 ところで、カウンセラーは理論だけでカウンセリングを行なっている訳では当然ありません。うんちく以外に、心の繊細な動きを感知する力や、一人の社会人として器量や常識を身に付けていること、専門職として理論をいかに分かりやすく伝えるかの言葉の技術が必要になります。このような力は心理学の理論ばかりをどれほど読み漁っても身に付きません。必要なことは、実際にカウンセリングを受けられた方の経過をまとめた事例を読み解くことです。ある方の生きてきた人生を拝見するわけですから、当然読み手には敬意が必要になりますし、その事例にアクセスするには機密性が担保された学会誌などに目を通せる専門性が必要になります。

事例研究を通じて得られること

客観的視点に立って理解する

 事例を通してカウンセラーはカウンセリングという営みを第三者の立場で傍観することができます。他者のカウンセリングを見ることで、自分のカウンセリングを振り返る機会になるはずです。自分がカウンセラーとして相談者に接していると、その場の感情や雰囲気に飲み込まれ、起こっていることに気付きにくくなることが往々にしてあります。人の振り見てという諺のように、読書を通じて、カウンセラーは自分のカウンセリングを見直す機会を得ることができます。

感受性を豊かにする

 カウンセラーも人間ですので、敏感な人も鈍感な人もいます。しかし、鈍感すぎることはこの仕事では問題です。そこで、人の心の動きに敏感になる必要があるのですが、これは中々に難しいことです。事例報告では相談者の心の変化を別のカウンセラーの視点を添えて追体験することになります。この経験を繰り返すことでカウンセラーの感性は徐々に研ぎ澄まされていきます。

理解の入り口

 カウンセリングルームに持ち込まれる内容は多種多様ですし、相談者の方の心情も非常に複雑な気持ちが交錯していることが少なくありません。それは時にカウンセラーの理解を超えることもあります。その時にカウンセラーが相談者のことを知るための枠組みとなるものが先人の知識です。他のカウンセラーが類似の場面でどのように理解しているかを知ることで、相談者を理解するための礎を築くのです。先人の知恵に頼れないカウンセラーは、相談者の悩みの深さに圧倒されるか、鈍感で機能できないか、いずれにせよ役に立てないカウンセラーとなります。

書籍を勧めてくるカウンセラー

 さて、ここについては程度によるところが多いですが、相談者が心配事を伝えると、やたらと「その話はこの本に詳しく書いてあるから読んでみるといいよ」と言うカウンセラーがいます。これは何を意味しているのでしょうか。おそらくカウンセラーが相談者の悩みの深さに耐えきれず、書籍という逃げ道に助けを求めていることが考えられます。もし、カウンセラーが意図せずそのようなカウンセリングを行なっているのであれば、その意味を考えてみる必要がありますし、相談者の方も「一緒に考えてほしい」とか「この場で話題にしたい」と伝えて良いと思います。なお、自分の著書を勧めて来る方もいらっしゃるかもしれませんが、これはまた別の動機がありそうですね。多くは語りませんが。

おわりに

 カウンセラーの本棚を見ると、興味の範囲やこれまでどんな経験を積んできたかがだいたい分かります。このIT時代にあって書物を読みながら試行錯誤するという在り方は非常に前時代的だと思います。しかし、私達カウンセラーは効率化された社会で削ぎ落とされがちな「感情」を扱うため、このようなアナログの方法が性に合っているのかもしれません。

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