はじめに

 人に気を使える人は出世をするなどと言われるように、我々の社会では人に気を使えることは美徳であり、賞賛されるべき意識として扱われています。反面「気疲れ」という言葉があるように気を使うことがストレスにつながることも一般的に認知されていることに異論はないでしょう。

 本コラムでは気を使うことによって生じる影響と、気を使うことの背景にあるご本人の期待を考えていきます。

「気を使う」と「気を遣う」

 気をつかうには「使う」と「遣う」があります。辞書を引いても違いが明確ではないのですが、昔は前者が「相手の機嫌をうかがう」などの含みを、後者は「思いやりを持って相手のためになることをする」という使い分けがされていたようです。思いやりを持って相手に接することは勿論尊い行為ですが、気疲れにつながるのは「気を使う」という表記の方が良さそうなので、今回は「使う」にしようと思います。

気を使う社会からは逃げられない

 自分はそんなに気を使ってないよと思う方もいらっしゃるでしょう。ですが、例えば贈り物を貰った時の内祝いやお返し、冠婚葬祭の細かいマナーなどを気にしない人はいないでしょう。もっと日常的な事柄でも、職場では上司を立てるとか、年長者のグラスが空にならないように注意しなければならないとか、そんな暗黙の規律があるはずです。このことに負担なく対応できる人と、とてもエネルギーを使う人がいることを認識しておかなければいけません。

気を使うのは大人だけではない

 気を使うというと取引先への接待や上司への(機嫌を損ねないための)配慮など、大人の生活場面で語られることが多いように感じます。しかし、小中学生でも気を使う子は随分といますから、決して大人の人間関係だけに生じるものではありません。

どんな負担があるのだろうか

 気を使うことが負担になる程度は人によって異なります。社会人になると当然のように気を使うことを求められますが、このことが心身の不調として現れる方がいることには同意を頂けることだと思います。上司や部下に対しての気疲れが、うつ病などの発症に繋がることがありますし、その結果、休職へと追い込まれる方もいらっしゃいます。心理療法を利用することになった方が、相手との関係の持ち方ひいては気の使い方というテーマに取り組むことも珍しくはないことです(参考:復職までの過ごし方)。

子どもの場合…

 子どもは大人以上に気を使うことが賞賛される文化にいるのかもしれません。大好きな親や先生から褒めて貰えることはとても嬉しいことですから、無理をして過剰適応気味に良い子を演じてしまうことすらあります。例えば、不登校のお子さんの中には人に気を使うことに疲れている様子を見せる子が少なくない印象があります。また、気疲れのイライラが他者や家族への八つ当たり行動として突然現れる子も見かけます。ご本人にとっては、積年の気持ちが溢れたのかもしれませんが、周囲は突然のことで驚いてしまうかもしれません。

気を使うことに伴う期待

 現代人はそんなに負担を感じながらも、お互いに気を使う関係を求め合うのはなぜなのでしょう。一つには、気を使ってくれる人は「良い人」であり、相互に気を使うことで思いやりに溢れた争いのない社会を実現できるという社会理念があることが否定できないように思います。

 しかし、個人に視点を向けると社会理念とは異なる打算的な心情が潜んでいるようにも感じます。気を使うことが利己的で生々しい動機に基づいているという考えです。それは、相手に気を使うことで自分が利益を享受する期待や、罰を回避する期待、相手への贖罪を達成する期待として知ることができます。

 気疲れを伴うほどに気を使うのであれば、相手への思いやり以上に私的な期待が作用して、相手へ提供するものが過剰になっている可能性を考えても良いのかもしれません。

過度に気を使うことの背景

 過度に気疲れを起こすのであれば、そこには何らかの期待があるという視点を紹介しました。もう少し深めたいと思います。このような関係が形成されてしまう背景には、自分を下に置いてでも相手を立てないといけない事情があるのかもしれません。その事情はご本人も無自覚であることが多いと思いますが、気疲れを改善するためには、この期待と、期待を作った背景を自覚することは重要なことです。いくつか例を挙げておきます。

対人関係で不安や恐怖を感じている

 特定の人物との間で力関係に大きな差があり、相手の言うことに服従しなければならない状態が長く続くと、気を使うことが習慣になってしまうことがあります。いじめなどの加害に耐えてきた方などが該当しますが、端から見ると仲が良さそうにしているグループでも、実は暴力や罰を受けないように相手に合わせて過ごしている方がいらっしゃるようです。この時の気疲れは不快な体験を回避することからでしょう。

相手と同調することが安心になる

 自分の意見に自信を持つことができず、相手を立てることで自分を導いて欲しいという期待を持つ方もいます。相手を持ち上げたり同調することで、自身で選択をすることを回避しようとします。気を使う負担よりも利益の方が大きいのでしょう。

 しかし、それが心身の不調となるのであれば、当初の利益が得られなくなっているのか、あるいは自己決定を極端に怖れる別の課題が背景にあるのかもしれません(参考:自信が持てない人へのカウンセリング)。

変化を避けようとしている

 相手が自分から離れていかないようになどの期待から、気を使うように見せかけて関係性を操作しようとする方もいます。この場合、気疲れは変化への恐怖から起こるものかもしれません。どこか依存的な心性や強迫的な心性を背景としている場合もありますので、ご自身の性格についてよく考えてみる必要があります(参考:変化を受け入れる負担)。

環境的な理由から

 幼い頃に緊張が高い中で生活をしていると、子どもは気を使って過ごす傾向が増します。家庭環境や友人集団などが挙げられますが、気を使うことで緊張を緩和しようとしたり、自分に相手の鬱憤が向いてこないようにしているのです。子どもは成長途上ですから、このような関係の持ち方が続けば、それが当然の過ごし方となっていくことは容易に想像ができるのではないでしょうか。身体に染み付いた癖のような側面もありますから、気疲れを感じても理由を自覚できないことが稀ではありません。アダルトチルドレンやヤングケアラーなどと言われる方々は、まさにこのような現実と向かい合っているように思います。

気を使う人に接するときに意識をしてほしいこと

 あなたの周囲にも気使いができる人がいらっしゃるのではないでしょうか。ふとしたときに何かをお願いしたり、愚痴をこぼしたりしてしまうことがあるかもしれません。気を使ってくれるので、とても話しやすいのでしょう。ですが、相手が負担には配慮をしてください。というよりも、一方的に気を使って貰うということがないようにしてほしいのです。

 相手に気使いを求めることは、現代社会ではハラスメントとして扱われます。そのため、昔ほど堂々と求めることはないと思いますが、それでも組織には暗黙の規律として周囲に気を使うことや、上下関係に配慮する意識が必要です。人間が集団で過ごす以上、この規律がなくなることはないでしょう。しかし、この規律を当然のこととして振りかざすことは、ときに暴力と変わらないことも知っておいてほしいと思います。

気を使う人へのカウンセリング

 知らず知らずのうちに気を使っている人は、自分の本心に気付きにくい傾向を持つ方が少なくないように感じます。それは、気付かないことで自分を守ってきたという歴史からかもしれませんし、自己主張や自己決定などに関する自尊感情に関係するテーマであることもあります。あるいは、依存的な側面が背景にある時もあるのです。

 気を使うことで何らかの利益を得る体験を積み重ねると、その態度は自分の一部となります。習慣化すると自覚をしにくくなりますから、本人も知らず知らずのうちに疲労を重ねてしまうことになるのです。この場合、まずは自分から切り離す作業が必要になるため、カウンセリングではこの態度を眺められるようにすることが当面の目標となります。

 ある程度眺められるようになると、現実的な振る舞い方を検討することや、気を使うことで得てきたものを振り返ることになります。そして、その作業には隠れていた怒りや不満、不安や悲しみが伴うことになるはずです。

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