はじめに

 依存的でいつも誰かと一緒であることを求める人がいますが、反対に他人と過ごすことが苦手で一人を好む方もいらっしゃいます。社会参加をする上では他人とやりとりをすることは必須であり、一人を好む方にとっての負担や悩みの種となることもあるようです。

他人と過ごすことが苦手な人はどんな人?

 社交的な人から内気な人まで、我々の性格は幼少期の頃から個性があります。他人と過ごすことが苦手な多くの人も幼少期からその傾向を見せていたはずです。例えば、教室で一人読書をしている児童であったり、積極的に自分の気持ちを開示しようとしない傾向があったかもしれません。そして、大人になると淡々と仕事をこなし、どこかクールだけど近寄り難い人や職場での飲み会に参加したがらない人がもしかしたら他人と過ごすことが苦手な人なのかもしれません。

 過ごし方は個人の自由だと思いますが、周囲からは声を掛けづらいという印象を持たれやすいことは否めません。一方、ご本人も同じように周囲に声を掛けることの苦手さを感じていることもあります。両者の間ではお互いに発信がないため、気持ちを分かり合う機会が乏しくなりがちです。

当事者の抱える悩み

 他人と過ごすことの苦手さを持つ方の中には一見すると落ち着いており、大人びて見える方もいますが、その内面は他人と過ごすことへの恐れや困惑を抱えている方が少なくないように思います。しかし、この困惑を悩みと感じている間は本人の中で変化を望む期待の気持ちがあるのでしょう。他人と過ごすことが苦手でも悩みと感じていない方もいらっしゃいますので、自分の現状と変化への期待の間で板挟みになることが悩みの本質なのかもしれません。

 心理学や精神医学の領域ではこの悩みを説明する分類や疾患がありますので、少しご紹介しようと思います。

スキゾイドパーソナリティ

 DSM-5のA群パーソナリティ障害に「スキゾイドパーソナリティ」が規定されており、社会的関係からの離脱や対人場面での情緒表現の乏しさなどが定義されています。親密な関係を求めようとせず、常に孤立しているように見えることが特徴ですが、ご本人の内面はまた別の動きをしている可能性があります。

 フェアバーン(Fairbairn,W.R.D )はスキゾイド的な傾向について、万能的態度、孤立、内面への没頭を挙げています。この特徴から導かれる印象はDSMに規定されている姿なのでしょうが、彼らは決して孤高の人ではなく、強い依存感情を抱えており、自身の依存によって相手を破壊してしまうことの恐れから無関心になるとフェアバーンは考えました。この指摘に倣うのであれば、外から見える姿と本人の内面との違いが無視できない問題であることは間違いいないでしょう。

参考:パーソナリティ障害の悩みと影響

自閉スペクトラム症(ASD)との関連

 発達障害の一つである自閉スペクトラム症(以下、ASD)は、コミュニケーションの苦手さや、相手の気持ちや場面の状況を察する想像性の苦手さを軸とするものです。ASDを抱える方はこれらの特徴から他人と過ごすことの負担が大きくなりがちです。個人によって程度は異なり、社会生活を問題なく営んでいる方もいらっしゃいますが、実は相当の努力をしながら他人と過ごしている方もいらっしゃるのです。

 しかし、スキゾイドパーソナリティとは異なり、自身の依存感情によって生じる破壊を懸念するすという力動はありません。自分自身の穏やかな時間を確保したいという気持ちは強いですが、そこにあるのは楽しさや充実感を求める前向きな在り方です。

参考:発達障害の分類と二次障害について

どんなことが問題になるのか

 では、他人と過ごすことが苦手な方は日常生活でどのような苦労をしているのでしょうか。

社会生活では

 冒頭でも触れましたが、他人と過ごすことは様々な組織やコミュニティで形成された我々の社会では避けて通ることができません。その中で他人と過ごすことが苦手であることは、毎日のように忍耐を求められることになります。また、学校生活や就職などでは協調性が大きな評価ポイントになっている現実があり、能力評価の一つの指標とすらなっています。他人と過ごすことが苦手であることが、協調性のなさと受け止められてしまったがために、進学やキャリア形成に影響が生じた方もいらっしゃるでしょう。ご本人は納得のいかない気持ちを抱えることが少なくないのではないでしょうか。

対人場面では

 人間関係では自分のことを開示することで相手も心を開いてくれるという交流が行われています。社会心理学では「好意の返報性」などと言われるものです。他人と過ごすことを避けることで自己開示をする機会は減りますので、結果として人間関係を深める機会を損なうことになります。社交的にならなくとも、信頼できる個人と狭くても深い関係を作れれば良いのですが、その過程を経るためには、どこかで本人の努力が求められるはずです。

 そして、誰かとの深い関係ができた後にも悩みは続きます。先程のスキゾイドパーソナリティに根差すものであれば、自分が相手を求めることで相手を壊さないようにしないといけないという力が働くため、関係を深めることが抑制的になりがちです。また、ASDの傾向があれば相手の望む形で共に過ごすことが出来なかったり、想像することの苦手さから衝突が増えてしまうことも考えられます。どちらも心から安心して過ごせる関係を作る上で人並み以上の苦労を課せられることになるでしょう。

誤解を受けやすい

 このように見ていくと、一番の悩みの種は誤解を受けやすいことなのかもしれません。他人と過ごすことの苦手さは協調性のなさや思いやりのなさとして受け止められやすいものです。そして、誤解される体験は他人と過ごすことの苦手意識をさらに強くし、より孤立の方向へと導きます。誤解が誤解を生む悪循環が生じると表現しても良いのかもしれません。

安心して一人で過ごすことができるように

 ここでもウィニコット(D.W.Winnicott)の指摘する「一人でいられる能力」を土台にして考えてみたいと思います。他人と過ごしている中でも自分の内面に浸ることができ、そのことに圧倒されない力を指す言葉ですが、スキゾイドパーソナリティの方は明らかにこの部分の負担があるように思います。ASDの方では周囲の過度な関わりによって、やはり他人と過ごす場面で圧倒される感覚を持つことになるでしょう。前者では「他人といると一人でいられないのはなぜか」、後者では「一人でいられる時間の確保をどのように行うか」を考えることが必要になると思います。

自分で納得していることが大切

 ここまで書いてきましたが、一つ注意を申し上げたいことが他人と過ごさないことは悪いことをしているわけではないという点です。社会活動や仕事の責任を果たすことに支障をきたすようであれば改善は必要ですが、このこと自体はご本人の性格であり自由な選択です。ただ、本人が思い悩んでいるのであればその負担の軽減は考えていくことは必要となるでしょう。「他人と過ごすことが苦手だから」と受け入れているのであれば、そもそも悩みとして認識はされないのかもしれません。

カウンセリングでは

 上述のように自分の現状と変化への期待の間での板挟みがカウンセリングにつながる動機になるのだと思います。まずはなりたい自分がどのようなイメージなのかを明らかにしていくことが大切です。そして、そのイメージがどこから生じたものかを考えていけると良いでしょう。ときに人に好かれる性格などを想い描き自分をそこに寄せることで、他人と過ごす苦手さを解決しようとする方もいらっしゃいます。しかし、そこには更なる無理と仮面を被る忍耐が生じてしまいますのでお勧めはしません。自分が納得して過ごせる在り方と環境を考えていくことが、心の安定につながると思います。

 同時に他人に求めるものが何かを考えていきましょう。理解して欲しいのか、放っておいて欲しいのかなどです。特に理解をして欲しい場合は、自分を開示していくことも必要になりますので、そのことに伴う不安や抵抗についても目を向けていくことが大切です。

 繰り返しになりますが、他人と過ごすことを回避することは決して悪いことではありません。自分にとって何故このことが悩みになるのかを考えていくことの方が大切なのではないでしょうか。

参考

  • Fairbairn,W.R.D(著)(1940), 相田信男(監訳)(2017).  人格におけるスキゾイド的要因 対象関係論の源流──フェアベーン主要論文集, 遠見書房 pp. 13-40 .
  • D.W.ウィニコット(著)(1958), 牛島定信(訳)(1977). 情緒発達の精神分析理論「一人でいられる能力」, 岩崎学術出版社. 
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