はじめに

 私たちの世の中は日々変わらないように過ぎているようで、定期的に大きな危機が訪れます。阪神淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災、そしてCOVID-19に伴う緊急事態宣言などです。このように並べてみると、10年に1度程度は国民が一丸となって取り組まなければいけない大事件が起きているということになります。

非常時には何が起きるか

 このような社会の根幹を揺らがすような大きな事件が起きている状況をまとめて非常時と呼ぶことにします。非常時では一種の集団パニックに陥り、通常では考えにくいような行動に人々を走らせます。身近なところですと買い占めが毎度話題となっていますね。震災の時もCOVID-19の時もスーパーや薬局の棚が空になってしまうことが度々報道されました。次に被災者の方への偏見から起こる中傷です。東日本大震災の時には福島第一原発のメルトダウンの報道に関連して、COVID-19では感染者と近縁の方へ、それぞれ悪意のある言動が生じたことが問題となっていました。また、様々な憶測は風評として、企業にも大きなダメージを与えます。

パニックの心理

 なぜ、非常時には普段では考えられないような、非合理的なことが起こりやすいのでしょうか。大変な状況でパニックになるからに決まっていると言われそうですが、もう少し考えてみましょう。パニックの性質をです。パニックの特徴には心理的視野狭窄と柔軟性の欠如が挙げられます。

心理的視野狭窄

 視野狭窄とは視覚情報を把握するための視野が狭くなることや、一部が歪んで見えるようになる現象を指します。このことにちなんで、考える視点が狭くなることや極端な結論を導きやすくなること、周りが見えなくなることを心理的視野狭窄と言います。ストレス過多の状況下で起こりやすいと言われています。

柔軟性の欠如

 人は不安にさらされると、柔軟に思考をすることが出来なくなります。思考が硬くなって変わらないように守ろうという象徴的な意味もあるのかもしれません。この状況では思い込みが生じやすくなり、情報を取り入れて修正していくことも阻害されます。その結果、普段であれば取るに足らない不安であっても冷静に対処することが難しくなることや、客観的な情報を元に修正されることがないために根拠のない不安を持ち続けることになります。また、この不安を攻撃性という形で排除しようという行動が現れることもあります。顕著な例が先程の誹謗中傷の行動です。

人によっては苦しさが倍増することも

 日常と異なる状況は誰しも辛いものですが、日々不安や苦しさと戦っている方にはさらに堪えることになります。例えば、発達障害の一つである自閉症の方は普段と異なる状況に大きな恐怖を感じます。それが社会を揺るがすような非常時であればその恐怖は更に大きなものとなるでしょう。また、対人関係で悩まれている方の中には、人の感情にとても敏感な方がいらっしゃいます。そのような方々は非常時においては人々のピリピリした空気に感化されてしまい、他の方の不安も背負ってしまうようになります。そのため、苦しさや恐れなどの気持ちにさらに拍車がかかってしまいます。そして、その苦しさは先程の心理的視野狭窄や柔軟性の欠如をより強固なものとするために、家族や職場の人に批判されやすくなります。これは悪循環の中に捕らわれてしまったとも言える状況でしょう。

リーダーの必要性

 多くの方が何かしらのコミュニティに属していますが、非常時の責任はコミュニティのトップに任せられることが往々にしてあります。国や地方自治体であれば総理大臣や知事が音頭を取りますし、会社であれば上層部に属する方にその役割が求められます。家族の場合でも誰か一人がまとめることになるでしょう。その重責を想像することは容易いでしょう…と、冷静に考えると分かるのですが、非常時ではリーダーを思いやる気持ちはなくなります。なぜでしょうか。

 一つの要因として非常時が人間を子どもの気持ちに退行させてしまうことが挙げられます。乳幼児さんは自分の過ごしている世界は、いつ崩壊するかも分からない脆いものとして体験します。これは自分の力ではどうにもなりません。そのため、保護者に全てを任せて頼り、頼らせてくれない時は大泣きしたり反抗したりして世界が崩壊しないように努めます。この心境はまさに非常時の人間の心境と同じものです。つまり、リーダーという「養育者」に世話をしてもらうことが必要となるのです。リーダーが養育者として機能できれば、集団は幾分落ち着いた気持ちで過ごせるでしょうし、リーダーがまとめることに興味を示さなければ集団の不安は一層高まります。

非常時が終わった後

 さて、どんな非常時もいつかは終わりが訪れますが、終結後にも様々な問題が山積みとなり、中には決定的に破壊され修復不可能なことも生じているはずです。対人関係で言えば、日常生活の営みが可能であっても、両者あるいは集団の間で決定的な亀裂が浮き彫りになって残ることがあります。先程の頼れないリーダーへの失望が不幸な決別へとつながることもありますし、普段は見せない自己保身的な気持ちが前面に現れる非常時では、近縁者の汚い部分を見ることにもなりますので、拭えない不信感を生むこともあります。また、個人の反応に目を向けても、生死に関わる体験をされた方の中にはPTSDなどの症状に苦しむ方もいらっしゃることでしょう。このことは以前に書いた「複雑性PTSD概念の導入にあたって」の記事を参考にしてみてください。

 社会・経済的な問題はここでは述べませんが、一つ触れておきたいのは大事件は失業者を増加させるということです。その過程で大きな傷つきを体験されて、心のケアが必要となる方もいらっしゃいます。

生活の立て直し

 非常時が過ぎた後の生活を立て直すためには、他者との協力が必須となります。これは人間の生殖・生産という側面に関わる活動なので一人では出来ないのです。しかし、どうしても、孤立し一人での立て直しが避けられない方がいらっしゃいます。ご近所同士で助け合おうとはよく言われますが、非常時とその後の期間は孤立が生まれないようにお互いに意識していくことが必要となるでしょう。

余談

 この度のCOVID-19は、我々が相互に寄り添い助け合うことを難しくしました。人間の孤立を促進させるという意味で、かつてない危機であったのだろうと思います。我々はこれをITの力で乗り越えました。しかし、そこに生じたのはオンライン飲み会などのやはり泥臭い人間同士の繋がりであった訳です。非常時の支えはやはり人間同士の繋がりを意識できるようにすることだったのでしょう。そう考えると、この非常時の対応は人類がどれだけ発展しても本質は変わらないのだろうなと思います。

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