はじめに

 我々の生活は労働と切り離すことができません。多くの人が労働の対価として賃金を得ることで生活を営んでいます。労働環境や仕事量に不満を持ちながらも必死で取り組んでいる方は少なくないと思いますが、なかには労働者の都合を考えずに都合よく搾取しようと考える会社も存在します。日々続く搾取によって受ける心理的影響は決して無視できるものではないでしょう。

ブラック企業とは

 ブラック企業という言葉もすっかりと定着したように思いますが、まずはどのような会社を指す言葉なのかを確認しておきたいと思います。厚生労働省の見解によるとブラック企業とは過重労働、違法労働、ハラスメントの横行や、従業員が使い捨てにされて離職率が極端に高い企業などが該当するしています。また、企業全体の平均年齢が低いことも特徴のようです。

 なぜブラック企業と呼ばれるような会社が存在するのかというと、人件費が上がることを嫌がる企業が低賃金のまま従業員を雇おうとしたことや、柔軟な働き方改革が推奨される一方で雇用の守る意識が低下したことなどの理由が考えられるかと思います。ブラック企業では会社(社長や役員、上司)と従業員との間に一定の不適切な力関係が生まれ、搾取/被搾取の関係が生じます。

 さらに、近年では社会人だけの問題ではなく学生にも影響が及ぶことがあり、ブラックバイトと称されて注意喚起がなされています。

ブラック企業への入り口

 新卒者では社会人経験がまだ十分でないこともあって、仕事の要望や会社の態勢の不備に気付かず、いつの間にかブラック企業のシステムの中に取り込まれてしまうこともあるようです。学生時の就職活動では会社側の華やかな事業説明や実態の伴わない理想を間に受けてしまいやすく、曖昧にしてごまかされている部分に気付かずに入社してしまうことも起こりやすいでしょう。

 中途採用の方は経済事情など止むをえないことがあって、ブラック企業である可能性を感じつつも入社してしまうことがあるようです。この場合はご本人も場繋ぎの意思で入社しているはずですが、生活がいつまでも好転せずに長期に渡って従事せざるを得ない悲劇も生じます。好転しない範囲で留められていること自体がブラック企業のシステムに取り込まれていると言って良いでしょう。

参考:貧困による心理的影響について

会社内で生じる力関係

 ブラック企業では独特の力関係が職場に蔓延します。

搾取/被搾取の関係

 先程と重なった話にはなりますが、ブラック企業では労働者全員が幸せになるための体制がそもそもありません。ときには顧客の幸せすらも望んでおらず、目的は経営陣の懐が潤うことのみに注力されていることもあるでしょう。また、経営陣に素晴らしい理想があったとしても、その理想のために従業員が搾取されることになれば、やはりそれは経営陣の自己陶酔であると思います。いずれにせよ従業員は道具として扱われることになります。

 会社は従業員から長期に渡って搾取をするために、転職先で通じるようなスキルや知識が身に付く機会を与えないこと、長時間勤務・低賃金労働によって自由に動く機会を奪うこと、私生活に介入して会社が身近な存在で関係を切れないものと錯覚させることなどの方法をとります。これらの関わりを長期に渡って受けることによって、会社と従業員の間には明らかな上下関係が生まれることになるのです。

経営陣あるいは企業思想の神格化

 減少傾向ではあるようですが日本の企業は朝礼で会社の信条やお客様への接客ポリシーなどを唱和することがあります。この文化にマインドコントロールの側面が含まれることは否定することはできませんが、管理職が良識のある方であれば仕事のパフォーマンス向上へと繋がる儀式となるはずです。

 しかし、この文化を悪用すると会社の思想が唯一無二のもので、経営陣の言葉が絶対的なものと錯覚する方向へとコントロールすることが可能になります。最初は戸惑いつつも日々の繰り返しを通じて徐々に文化への疑問を持たなくなります。新入社員の方が会社の本質を言い当てることがありますが、内部にいると往々にして視野が狭くなることを表しているエピソードです。そして、このようなコントロールが効果を見せ始めると、経営陣の理不尽な要望や暴言なども致し方ないことだと感じるようになり、ハラスメントであることに気付かないことすら生じます。

参考:ハラスメントの心情

外の世界が怖いものだという意識を育てる

 上記の二つの項目はいずれも労働者の自尊感情を奪うものです。そして、労働者は自分が他の会社では働けないと感じるどころか、そんな自分でも雇ってくれている会社に感謝の気持ちを持つことすら見られます。はっきりと「お前は他の会社では通用しない」と言われたという話も聞いたことがありますが、これらは会社と外の世界の間に大きな壁を作り交流を絶つための手段となっていることがあるのです。

労働者に生じる心理的影響

 このような力が渦巻く職場環境で長く過ごすことでことで労働者にはどんな心理的影響が生じるのでしょうか。

思考の停止

 過度なパワハラや叱責は人間の思考を麻痺させます。最初は叱責の度にビクビクしていても何度も繰り返されれば反応する気力もなくなることでしょう。学習心理学では、学習の結果、無駄だと諦めてしまうことを学習性無力と言いますが、まさにこの状況に当てはまるように思います。

 あまりにも負担が大きければ解離などの症状が現れることもあるようです。主体性を喪失することで自ら考えることが出来なくなります。

心的外傷の悩み

 過重労働やハラスメントによって生じた心の傷が癒えるためには多大な時間が必要になります。就業中の抑うつ感や心身の不調はもちろん、退職後もうつ病やPTSDなどの症状に苦しむことは稀ではないように思います。そして、ブラック企業で働いた経験が恐怖や消極的な姿勢を生み、新しい場面へと進んでいくことを阻害する要因にもなり得ます。この場合は転職活動に先立って、心身の治療を行うことが必要になります。

参考:復職までの過ごし方

キャリア形成に生じる危険

 ブラック企業は社会人としての十分なスキルを身につけることが出来ないことが特徴でした。いざ転職をしようと考えても他社の求める能力に達していないため、環境を変えることが一層困難になっています。ときには職業人として取り返しのつかない損害を被っていることもあります。

ブラック企業に入社してしまったら

 入社してから「しまった」と気付く方もいれば、本人も気付かないうちに企業のシステムに取り込まれている方もいます。リスクを避けるためには、会社でどのような仕事をしているのか、会社の労働環境や給与はどのように支払われているかなどを家族や友人に話すことです。特に働き始めは意識的に他者に話せると良いでしょう。会社外からの冷静な視点と判断に耳を傾ける機会を積極的に持つ意識を忘れないようにしてください。

 また、働いていておかしいと感じることがあれば相談窓口に出向くことは有効です。ただ、長時間拘束や過度な疲労によって自ら動くことが難しいことも考えられますので、そのときは知人に事情を話して代わりに相談に行ってもらうでも良いと思います。行政や法律家の意見を知人経由で聞くだけでも自分の立場を眺めるきっかけとなることがあります。

周囲の手助けは必須

 自分の知り合いが最近働き出して様子がおかしいと思ったら、しつこく声を掛けることは大切な関わりになります。おそらく最初は鬱陶しがられるでしょうが、現状をおかしいと見ている他者がいると分かるだけでも自分が直面している危機に気付きやすくなります。

 さらに会社外の人間関係があることは搾取/被搾取の閉鎖的な関係から抜け出しやすくなります。会社内でしか人間関係が持てていなければ、会社から距離を取ることは孤独になることを意味しますので、どうしても離れ難くなります。会社外でも付き合える人間関係があるという気持ちを持てることは大きな支えとなるのです。

カウンセリングで出来ること

 カウンセリングに訪れるということは、搾取/被搾取の関係から一歩抜け出すことが出来ている証拠です。先程もご紹介したとおり、会社外の人間と繋がることには大きな意味がありますので、その勇気を持ってくださったことに我々カウンセラーも嬉しく思うことがあります。

 カウンセリングにお越し頂く段階ですと何らかの心の症状に悩んでいることも少なくないでしょうから、まずは心が落ち着くことを目指すことになるかもしれません。具体的には主体性が損なわれていることに伴って、自分の考えがまとまらない・分からないという心の状態が推測されます。この心模様を整理することから始めることになるでしょう。この段階では医療機関との併用をお願いすることも珍しくはありません。

 ブラック企業から心理的距離を取れるようになったら、今度はご自身の性格を見つめてみるのも一つです。なぜ、心の負担がこれほど大きくなるまで勤めていたのか。そこには孤独心を埋めようとする心の動きや、はっきりと自分の気持ちを相手に伝えることが出来ずにズルズルと取り込まれてしまったなどの背景がある場合もあります。また、ブラック企業の攻撃的な側面に

自身も同一化していることがありますので、この経過を振り返ってみることも今後同じことを繰り返さないために必要となるでしょう。

おわりに

 人間は短期であれば大きな力を発揮できますが、長期に渡って力を振り絞り続けることは難しいと思います。この前提が守られないと、過度な疲労から心身に取り返しのつかない影響を生じます。ブラック企業では、さらにキャリア形成の不利益も起こり人生を台無しにしてしまう可能性もありますので、十分にご注意ください。

参考