ページが見つかりませんでした - 町田、相模原、多摩、横浜、川崎の方が多く利用されているカウンセリングルームです。臨床心理士がカウンセリングや心理療法を提供しております。うつ病、家族関係、人間関係、トラウマ、発達障害など、皆様の悩みやご心配事の解決に向けてのお手伝いを致します。 https://machida-cog.com 町田、相模原、多摩、横浜、川崎の方が多く利用されているカウンセリングルームです。臨床心理士がカウンセリングや心理療法を提供しております。うつ病、家族関係、人間関係、トラウマ、発達障害など、皆様の悩みやご心配事の解決に向けてのお手伝いを致します。 Mon, 09 Oct 2023 08:41:40 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.9.9 https://machida-cog.com/wp-content/uploads/2019/04/cropped-2-e1609404092404-32x32.jpg ページが見つかりませんでした - 町田、相模原、多摩、横浜、川崎の方が多く利用されているカウンセリングルームです。臨床心理士がカウンセリングや心理療法を提供しております。うつ病、家族関係、人間関係、トラウマ、発達障害など、皆様の悩みやご心配事の解決に向けてのお手伝いを致します。 https://machida-cog.com 32 32 165310633 失恋から立ち直れない https://machida-cog.com/column/relationships/pain_of_heartbreak/ Mon, 09 Oct 2023 08:41:40 +0000 https://machida-cog.com/?p=2270 はじめに

 恋愛関係というのは古代から美しく純粋なものとして描かれてきました。しかし、甘美な側面だけではなく、ときに大きな外傷を我々に与えたり、恐ろしい憎悪とセットになることもまた恋愛の一側面でしょう。誰かへの思いが届かないと確信した時に夢のような時間は途端に失恋の苦しさとなって我々を襲ってきます。

 本コラムでは失恋から立ち直れない心境について検討しています。もちろん恋は無限の可能性があるため一般論を申し上げることしかできませんが、失恋の痛みが消えない時に心の置き所を見つけるきっかけとなれば幸いです。

失恋の痛みとは

 恋愛は視野を狭くするものだと言われます。交際しているか否かに関係なく、相手の存在に没頭するほど失恋による痛みもより強いものとなることは、ご賛同頂けるのではないでしょうか。

 痛みはときに耐え難い大きさとなり日常生活に支障をきたします。例えば失恋をきっかけとして、うつ病や適応障害などの診断を受ける方がいます。なかには自傷行為やひきこもり状態などを伴う方もいらっしゃいます。失恋の経験がその後の人生に大きな影響を与えることも決して珍しくはないでしょう。

 このような失恋の痛みの一つには、大切な相手をなくす喪失の痛みが考えられます。この痛みを乗り越えられない時に私たちは失恋から立ち直れなくなります。

空想と現実的事情が折り合っていくこと

 喪失の痛みと言っても失恋ならではの心の動きもあるようです。それが、恋愛がどこか理想的で自分にとっての都合の良い空想を伴うからだと思います。当初は相手に抱いていた空想は、少しずつ現実的な事柄と折り合っていくことが求められますが、この時に生じる難しさや寂しさに、失恋ならではの痛みの一端を見出すことが出来るかもしれません。

恋のはじまり

 相手に恋心を抱くタイミングやきっかけは人それぞれです。他人から聞いたら驚くような始まり方をした人もいらっしゃるでしょう。長い時間をかけて思いを抱き続ける方もいれば、気がついたら恋をしていたということもあるかもしれません。

 多くの場合、自分の中に湧き上がった気持ちに驚くことはあっても、不快感として感じられることは少ないと思います。それは、恋心が気持ちを前向きにし、幸せな時間を抱く素敵なものであるからです。自分の中に湧いてきた気持ちを汚らわしいとか、許されないものと感じる方もいらっしゃいますが、その場合はこれまで過ごしてきた時間と関連があることも少なくないようです。

愛しい気持ちが強くなるとき

 もう、相手のことしか考えられないという状態になっていれば、自身の恋心を自覚しないわけにはいきません。自分にとっての良い空想に浸るだけでなく、この恋は叶わないものかもしれないと不安な気持ちも抱くでしょう。そして、現実の相手の行動に一喜一憂することになります。この頃が一番楽しいかもしれません。

現実的な事情に目が向くようになる

 段々と楽しい空想よりも現実的な事情が頭を占めるようになります。当初の落ち着くことすらできない程のときめきから少し距離を置けるようになるのです。自身の変化をどのように体験するかは人それぞれだとは思いますが、徐々に冷静になり当初の興奮のような気持ちを感じにくくなることに寂しさを覚える方もいるかもしれません。

 片思いや推し活のような一方向の関係は、空想が終わる時が失恋なのかもしれません。交際をしている関係では、理想と現実との擦り合わせが上手くいかない時、関係を維持することが難しくなるはずです。

新しい関係を作るか空想のままでいるか

 空想と現実が折り合うと、関係はより深くて人間臭いものへと移行していきます。それは、ときめきではなく地に足を付けて一緒に生きていくステージなのかもしれません。一方、相手を理想的な対象として、空想のままにしておくことを選択することもあるようです。例えばアイドルやアニメのキャラクターに恋愛に近い感情を持つとき、これは相手の理想的な面のみに目を向けている状態といえます。アイドルの交際が報道されると空想を維持することが出来なくなり大きな揺れが訪れますが、これも一つの失恋と言えるのかもしれません。

恋愛関係の破綻

 恋人として交際している二人は、その関係を現実社会の中に位置付けようとしているのではないでしょうか。空想を抱き続けていては嫌な面も持つ相手と共に過ごすことは出来ません。若い時の恋愛が長続きしないことはここら辺に理由がありそうです。現実的な関係に進むためには、少なからずの空想を手放さないといけないようです。

 失恋や関係の破綻のきっかけには信頼を裏切る行為や、考え方のズレが増大したなどの理由が挙げられることがあります。それは自身が抱く空想と現実が折り合うことが難しかったといえることが、ままあるように思います。

失恋の痛みが癒えない個人的事情

 相手の非によって失恋する体験であれば、時間が気持ちを安定へと導いてくれるでしょう。しかし、検討してきたように自身の空想を手放すことの痛みが背景にあるとしたら、この失恋の痛みは長く続くかもしれません。なぜなら人間関係はお互いの責任の上に生じるものですが(参考:コミュニケーションの責任)、空想を手放すことの難しさは、関係性に起因するものではなく個人の事情が作用しているように思われるからです。どんな個人的事情があるのかを少し考えてみます。

自分の理想が強すぎる

 相手に対して理想を求めすぎているとしたら、これは恋に恋している状態だったのかもしれません。現実の相手と折り合うことが難しいことは決して悪いことではなく、憧れの対象を持つことは必要なことだと思います。しかし、自分の求めるものが相手に対して負担を掛けすぎていたとしたら修正が必要かもしれません。

親を相手に投影してしまう

 これは意識して避けられるようなものではありません。最初のカップルモデルが両親であることは疑いなく、両親の関係を一般化してしまうことは避けられないからです。理想的と感じていなくても、カップルとしての関係性や、やりとりの仕方、相手への気持ちの伝え方などに関する感じ方の礎となります。当然のものとして備わっていく価値観もまた空想と言えるでしょう。

 この場合、親とは違う自分自身の恋愛関係を持つことが必要かもしれません。この達成が難しいのであれば、自身の親子関係を振り返ってみると良いかもしれません。精神分析では、異性の親に自分が取って代わりたい願望として羨望が説明されています(R. Britton, 『信念と創造』)。我々はどこかで親との親密な関係を求めているようです。しかし、それが叶わない絶望を幼少期に体験しているはずなのです。

人間関係という視点を持ちづらい

 これはコミュニケーションの苦手さと関わることかもしれません。相手の気持ちを思いやり、考えていることを想像し、自分の考えを相手に伝える努力をするなどの視点が抜けていると、そこで生じていることは関係性ではなく、自分一人の世界が展開されていることに他なりません。

 アイドルに恋するなどの状況であっても、アイドルが人間らしさを見せた時に激しく怒りを感じるのであれば、やはり相手を一人の人間として見ることが出来ていないと感じてしまいます。

悲劇的な体験を伴う失恋

 個人的事情とは少し視点の異なる話となりますが、突然の別れや裏切りなどによる失恋によって心の傷が生じ、専門的な治療が必要になることもあります。(参考:喪失の反応と留意点)

失恋の痛みが事件になることもある

 さて、ここまで書いてきたように失恋の痛みを長く手放せなかったり、繰り返してしまうようであれば、自身の姿勢にも目を向ける必要がありそうです。個人的事情による傾向が大きくなることで、社会的な事件を起こすこともしばしばあるようです。代表的なものがストーカーでしょう。自分の想いが伝わらないことに激しい怒りを感じ、自分の空想と異なることを受け入れられずに現実を歪めようとすることが特徴です。これもある意味では失恋だと思うんのですが、加害者には自己愛的な性格傾向が指摘されることも珍しくありません(参考:ナルシスト性格の特徴)。

空想のままにしておく風潮が流行している?

 近頃、推し活という言葉が出てきました。これはある意味では、空想を空想のままにしておくことでもあるのかなと思います。自分は陰から支える立場に徹し、空想と現実の折り合いを付けることを目指していないからです。昔から素敵な先輩を遠くから眺めて満たされるという活動(?)はありますが、この趣向が社会的な動きとなっているのが推し活と言われるものではないのでしょうか。

 誰にも迷惑をかけない行動ですので咎められることはありませんが、空想と現実という二つの世界を完全に分離させて過ごすことが広まっていることにどんな時代的要因が影響しているのかは気になるところです。

おわりに

 恋をしているときは空想に浸ることが楽しみの一つなのかもしれません。そのように考えると失恋の痛みは、空想を手放して現実との折り合いを付けることによって生じるのでしょう。この痛みは当然のものだとは思いますが、一方で、いつまでも痛みが取れないことや、同じような失恋の痛みを繰り返すようであれば、自分を少し見直してみることが必要であるようにも思います。

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予想外の出来事が苦手な人へのカウンセリング https://machida-cog.com/column/psychotherapy/coping_with_unexpected_events/ Mon, 31 Jul 2023 07:09:03 +0000 https://machida-cog.com/?p=2253 はじめに

 明日の予定を考えることや将来を思い描くことは我々の日常です。このような未来のイメージは、他者の行動や日々の時間の流れが想像通りに進んでいくはずだという信頼が前提です。ですが、その前提は不確かなものであり、ときには全くもって予想外の出来事が起こることを誰しもが経験していることでしょう。このような場面では心の動揺を伴うことが当然の反応ではありますが、中には大混乱を生じてしまう方もいらっしゃるようです。

 本コラムでは、予想外の出来事が起こった時の心の動きを考えていきます。そして、カウンセリングではどのような視点を持って扱っていくかをご紹介します。

予想外の出来事とは

 予想外の出来事と一口に言っても、いくつかのパターンがあるようです。まずはパターン分けをしてみましょう。

スケジュールの変更

 これが一番身近に感じやすい例でしょう。「15時から会議」を予定していたのに、当日、当然「14時に変更」と言われるなどの出来事です。日常的に起こることですし、変更が一切ない環境はありえないでしょう。この時の動揺は準備をする時間がなくなることや、他のスケジュールとの調整に関することによって生じる事が多いかと思います。

相手の反応が普段と異なる

 優しかった恋人が、今日会ったらとても冷たい…。なんてことがあったら不安になり自分に落ち度があっただろうかなどと思案します。相手の反応がいつもと異なる場合も予想外の出来事に遭遇したと言えるでしょう。この場合は、これまでの相手を失ってしまうのではないかという不安や、自分にも普段と異なる姿勢を求められる緊張感が動揺の背景にあるようです。

形式やルールの変更

 いつもと同じやり方で深く考えずに取り組んでいたことが、ある日突然ガラッと変わってしまったら当然驚きます。普段書いている日誌のフォーマットが変更になっただけでも、きっと大きな動揺を誘うことでしょう。慣れるまでは不安を感じますし、その変化に怒りを感じることもあるはずです。

理想の未来と現実の齟齬

 実際に思い描いていたイメージと現実が異なる場合も予想外の場面です。たとえば、希望する部署に入れなかったとか、予期せぬ職に従事することになったなど、自分がずっと思い描いていた未来と異なる道を歩かなければいけないとしたら、これは予想外の出来事と言えるはずです。一昔前の就職活動では「希望の部署に就けなかったらどうしますか」という意地悪な質問が定番でしたが、まさに予想外の場面へのストレスコーピングについての質問だったようです。

 家庭環境や生活様式などにも関わることであれば、当初の混乱だけでは済まずに慢性的なストレスにつながることもあるでしょう。

気持ちの反応は?

 予想外の出来事に遭遇した時の人間の反応は、まずは停止です。状況を理解するために一呼吸を置く必要が生じます。不安や苛立ち、焦る気持ちを抑えて、理解のために冷静であることに努めるのです。自分の気持ちを制御し現実を眺めることが求められるわけですが、どうもこの段階のつまずきが混乱につながりやすい様に思います。感情を抑えることに使うエネルギーは決して小さくはありません。予想外の出来事の影響が大きいほど、冷静になるためにエネルギーを要するのではないでしょうか。

動揺が強く出やすい傾向を持つ人もいます。

 予想外の出来事への負担が大きくなりやすい特徴を持つ心の症状もありますので、紹介していきます。

自閉スペクトラム症(ASD)

 発達障害の一つで、予想外の出来事や見通しの持てない場面での負担がとても大きいです。背景には想像することの苦手さがあります。日々変化が訪れる世の中で、混乱せずに対処していくことに多大な努力をしている方が多くいます。極力、変化がないように日常の流れを作っていくこと(構造化)が負担を減らすポイントとなります。

参考:発達障害の分類と二次障害について

全般性不安障害(GAD)

 名前のとおり、不安を感じやすい傾向を持っています。予想外の出来事に戸惑うだけでなく、予想外の出来事が起こるかもしれないという予期不安によって、様々な事柄に不安を感じやすくなってしまいます。思考の整理の仕方を考えることや、遭遇時に冷静さを取り戻す方法を事前準備しておく事が大切です。

強迫性に関連した行動

 強迫には特定の行動や思考を巡らせることで、何らかの感情から距離を取る手段という側面があります。環境の不変性を確認して落ち着かせたり、自分が環境に影響力を持っていると感じることで感情を収めているわけですが、予想外の出来事つまりは予定調和が崩れて自分が無力であると感じた時に感情を抑える手段を失ってしまうことがあるようです。

参考:強迫性について

パーソナリティ障害

 主に「予想外の他者の反応」に対して動揺を感じやすいのは依存性や境界性のパーソナリティ障害です。いつもと違う相手の反応によって、自分が嫌われてしまったのではないかとか、自分が愛されていないのではないかなどと感じやすい傾向があります。反応の仕方は人それぞれですが、予想と異なる他者の反応は強い心の揺れを生じやすくすると言えるでしょう。

参考:パーソナリティ障害の悩みと影響

動揺しない(ように見える)傾向の方

 躁状態や注意欠陥多動症(ADHD)の方は、予想外のことが起きてもあまり動じているようには見えず、むしろ、その状況に気持ちが昂っているように見えることもあります。しかし、これらの傾向をお持ちの方は刺激に反応しやすい特徴がありますので、あまり堪えていない様に見えても、その内面にはとても大きな波が生じていて、冷静ではないことがあります。

安心感が特効薬

 一般的に心に余裕がない時や、疲労が溜まっている時は変化を受け入れる心のスペースが小さくなるため、予想外の出来事に大きく乱されることになります。人間関係、家族環境、社会生活など日々の基盤を整えておくことは最も大事なことです。想像ですが、基盤が整っている環境は未来が予想通りに進むであろうと信じやすくなり、些細な予想外の出来事には揺さぶられないということなのかもしれません。

カウンセリングの視点

 カウセリング場面では、予想外の出来事のエピソードと、その時に生じた気持ちや不安についてまず聞かせて頂くことになるかと思います。そして、エピソードと反応の大きさの釣り合いが取れているかどうかを一緒に眺めていくことが大事な準備となります。上述の様に予想外の出来事に動じてしまう背景には、安心感の欠如が影響していることもありますので、生活状況なども聞かせてください。一般的に定期的なカウンセリングの時間は、それ自体が変わらない安心感を提供するものとされています。一週間のエピソードをお話しすることを続けていくことだけでも心の揺れを小さくできるかもしれません。

 また、カウンセリングの場面にはご紹介したような、なんらかの医学的診断を持っている方もいらっしゃいます。各々の方のご事情をカウンセラーが十分に理解した上で対処の方法を一緒に考えていくことが少なくありません。

おわりに

 予想通りにいかないことは世の常であり、この動揺から我々は逃れることはできません。持つべき視点は、どうすれば揺れに耐えられるようになるのか、出来事に対処する冷静さを持てるのかということです。多くの方が予想外の出来事が起こった時は一杯一杯で、後に振り返ることはしません。しかし、予想外の出来事が苦手な方は、振り返りの作業を十分にすることがとても大切です。

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五月病の予防のために https://machida-cog.com/column/kokoro/may_blues/ Fri, 21 Apr 2023 12:29:28 +0000 https://machida-cog.com/?p=2236 はじめに

 五月病という言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。今年も時期が近づいてまいりましたので、予防の観点から五月病についてご紹介しようと思います。

五月病とは

 日本は5月上旬にゴールデンウィークがあり長期休みを取る方が少なくありませんが、休み明けに気持ちの落ち込みや体調不良などの症状が現れることを五月病と呼ぶことがあります。五月病の状態になると意欲が減退して、何事もやる気が起きない無気力の状態になります。休み明けのタイミングで突然登校や出社をすることが難しくなるため、周囲が驚くこともしばしばあります。

 お休みに至らない程度であっても、気持ちの落ち込みなどによって業務のパフォーマンスが著しく低下することもあります。時には叱責の対象になってしまい、辛い経験となる方もいらっしゃいます。

医学的には

 五月病は医療現場で使用される正式な診断名ではありません。医学的には適応障害やうつ病などの診断がつくことが多いのではないかと思われます。投薬治療が必要となる人から、時間経過によって気持ちが落ち着く人など、その程度も様々です。ですが、休み明けにこれまで出来ていたことが突然困難になるようであれば、心の中では何かが起きていることは間違いないと思いますので、受診をすることをお勧めします。

五月病の背景

疲労の蓄積

 4月は色々とバタバタするものですから、この1ヶ月は誰しも疲労が溜まりやすい時期です。活動している最中は気にならなくても、休暇中に身体の疲れを自覚し、脱力してしまうことも考えられます。疲れたら休もうとする身体の仕組みは当然の反応ではありますので、このような場合は、4月の過ごし方を振り返り、疲労との付き合い方を考えることが大切かもしれません。

性格によるもの

 五月病になる方は、普段から不安や緊張を感じやすい人や、過度に気遣いをしている人が多い印象があります。連休によって緊張の糸が切れてしまったという表現がまさに当てはまるかもしれません。(参考:気を使いすぎて疲れてしまう人へのカウンセリング)

 また、元々取り組みへの意欲が少なく我慢をして過ごしてきた方の中には、連休明けに突然興味を失ったように登校や出社が叶わなくなる人がいます。多くの人がこの先のことへの不安で頭が一杯になりますが、稀に気持ちに一区切りをつけたような表情をされる方もいらっしゃいます。側から見ると、どちらも五月病で間違いないのですが、ご本人の内面は随分と異なりますね。

環境変化への失望

 5月は新しい学校や学級、あるいは職場の異動などを経験して慣れてきた時期です。集団の雰囲気などにも目を向けやすくなりますから、理想と現実の違いにショックを受けることもあるかもしれません。「こんなはずじゃなかった…」という感覚を持つことは、前向きな姿勢を保つことを大きく阻害します。これもまた、五月病の一つの要因となり得るものです。

五月病との関連が見られる状態

 次に五月病が現実的にどのような悩みにつながりやすいかを見ていきます。

不登校

 連休明けは学生の足が学校へと向きにくくなることがあります。夏休みや冬休みなどの長期休み明けにも同様の傾向はあるのですが、五月病では特に新しいクラスのグループに上手く入れないこと、そして、毎日の登校に体力が付いていかなかったなどの理由が挙げられやすいかもしれません。

 学年が変わるタイミングは、誰しも新生活に期待を持つものです。イメージしていた環境が得られないことも、この年代で生じる五月病の背景としては無視ができないものです。

参考:不登校の経過と心理的意味について

出社ができない

 学生の不登校と同じような背景があるかと思いますが、社会人の場合は学生以上に新しい環境に溶け込む主体的な努力を求められます。過度な積極性を求められることは息苦しく負担になります。異動うつなどの言葉が使われることがありますが、これはまさに五月病を連想させるものでしょう。学生が人間関係や希望が叶わなかったという理由が前面に出やすいことに対して、過労や自分の能力の壁にぶつかることによる不調が社会人の特徴かもしれません。

 これは推測になりますが、社会人の転職は学生の転校よりも一般的です。そのため、五月病になって退職をしても、表向きは前向きな転職として扱われていることが少なからずあるのではと思われます。

引きこもり

 不登校であっても出社ができない状態であっても、これまでの環境が突然変わるものであることは同様であり、そのショックの大きさは想像に難しくないはずです。気持ちの落ち込みが続き長い引きこもり生活に入ってしまう危険もありますので、初期の過ごし方には注意が必要でしょう。

参考:引きこもりに伴う本人と家族の悩みについて

トラウマ体験

 うまくいかなった経験は生涯に渡って残るものです。その後のバネになることもありますが、あまりにもショックなことや理不尽な内容であれば、心の傷としてのみ残ることになります。新環境での人間関係の挫折がハラスメント被害を伴うものであったり、クラス替えによって突然のいじめ被害を受けることになれば、それはトラウマとして長く心に刻まれてしまいます。

参考:トラウマへのカウンセリング

五月病を予防するために

 五月病を予防するために大切なことの一つに、4月を頑張りすぎないことが挙げられるかと思います。新しい環境に適応しようとする努力は立派ですが、過度になれば心身への影響は大きくなります。また、一度上げた仕事のパフォーマンスを下げることは難しいため、結果、長期に渡って頑張り過ぎてしまうリスクもあるでしょう。(参考:過剰適応の悩みと苦しみについて)。全力を出すことを極力抑えて7割程度の力で過ごすことを意識できると良いかもしれません。

 どうしても振り絞る必要があれば、自分のスケジュールの中にリラックスする時間を作ることが有効です。ゆっくり映画を見て過ごすでも、仲間と食事に行くでも良いのですが、自分の内面や気持ちに目を向ける時間を確保することが重要になります。「時間が空いたらとか」「忙しいのでなかなか…」と言っていると実現はしませんので、仕事のようにスケジュールに組み込むことがコツです。

 もし心配があれば、休暇が明ける前日に会社や学校まで足を運ぶことも気持ちが切り替えるために良いと思います。休みが1日減ってしまうようで悔しい気持ちはありますけどね。

五月病になってしまったら…

 残念ながら休暇明けに身体の不調や気持ちの落ち込みを感じるようでしたら、焦らずに自分が出社や登校をして過ごしている場面をイメージしてみましょう。イメージが湧いて耐えられそうだと思うのであれば、足を運んで1日を過ごし、その日はなるべく早く帰宅しましょう。

 イメージが湧かず苦しい気持ちばかり感じるとか、涙が溢れてくるという状態であれば、それはもう無理は禁物のサインです。上司や担任にすぐに連絡をして状況を伝えてください。電話が苦しいようであればメールでも良いです。そして、すぐに病院に行きましょう。医師の診断書というのは、あなたが苦しい時に代わりに会社や学校に説明をしてくれるものになりますから、必ず一筆書いてもらってください。

カウンセリングでは

 カウンセリングの場面で五月病と出会うのは、休暇明けから少し時間が経ってからが多いかもしれません。不登校や休職の過ごし方についての悩みや、状況がいつまでも改善しないなどのご事情からご連絡を下さる方が多い印象があります。先程、ご紹介したとおり最初はまずは医療機関を訪れて、会社や学校での自分の立場を守ることを優先して頂きたいと思います。その後、時間が経過してもスッキリしない、苦しい気持ちが続いているということであれば、カウンセリングが有効なことがありますのでご検討ください。

おわりに

 五月病は頑張っている人に訪れるものです。努力は尊いものですが、心身を健康にして長く続けられるほうが結果として大きな成果を残すことができます。4月に無理をしすぎないことの大切さが伝われば嬉しく思います。

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エゴン・シーレ展 https://machida-cog.com/column/art/egon_schiele2023/ Wed, 29 Mar 2023 05:04:25 +0000 https://machida-cog.com/?p=2222 はじめに

 先日、東京都美術館で開催されているエゴン・シーレ展に行ってきました。シーレをメインに据えた展示は30年ぶりとのことです。過去に数点の作品を見たことはありますが、シーレがどんな人物なのかはよく知りませんでしたので、今回は勉強する気持ちで向かうことにした次第です。

評価されるまでの道のり

 シーレは1890年にウィーン近郊で生まれます。決して貧しくはなかったようですが、15歳で父親が他界し、裕福な叔父が後見人となりシーレを支えたようです。今回の展覧会では彼のことを天才と褒め称えていますが、そのエピソードの一つがウィーン美術アカデミーへ歴代最年少である16歳で入学したことです。

 しかし、古典的なアカデミーでの時間に意味を見いだせなかったシーレは、退学してグスタフ・クリムトの下へ向かいます。クリムトはシーレの才能を高く評価して、自身の近くに置いたようです。今回紹介のあった印象的な言葉に「僕は才能がありますか?」と問うシーレにクリムトは「それどころか、ありすぎる」と答えていたやりとりが紹介されています。これほどの賛辞はなかなかないでしょう。若き日のシーレの作品には金の塗料を用いた作品があり、クリムトの絵かと思って足を止めることがありました。その影響がとても大きかったことがうかがえます。

作風について

倫理的な反発

 20歳を超えたあたりから、シーレらしさが目立つようになったと感じます。彼の作品は死や性に関するテーマを正面から扱っており裸体や艶かしい構図が多く描かれます。その過激さが周囲に受け入れられないばかりか嫌悪感を抱かせるようになったそうです。モデルの娼婦が出入りをしたり、戸外でのヌードデッサンを行っていたことで、地域住民の不安を掻き立てたエピソードもありました。警察に踏み込まれ勾留され、自身の作品を処分されることもあったということから、当時与えたインパクトは相当のものだったのでしょう。また、彼は自画像も多く残しています。自身の身体の細部まで描き、これもまた倫理的には受け入れがたいことだったのかもしれません。

自分の存在を確認する方法として

 もう一つ彼の作風で特徴的なのは人体のパーツを精緻に描き、かつ強調している点です。まるで、人間の身体がどのような構造をしており、どのように変化をし、どのような機能を有しているのかを確認するようでもあります。食物を食べないで痩せこけた自身の身体を描いた自画像は、シーレ自身が自分の存在を確認するために描く必要があったのではないでしょうか。実際にシーレは自身の中にある複数の自我を統一できずに苦しんだ人であったようです。心理の言葉では同一性の拡散という表現になりますが、この苦しみと向き合うために彼は自分の身体を確認する作業を必要としたのかもしれません。

クリムトとの関係についての考察

 シーレのモデルを長年務めたヴァリー・ノイツェルが描かれた作品は多数残っています。一説にはノイツェルはクリムトのモデルを務めていた人物でもあったそうです。尊敬し師事したクリムトのモデルと恋人関係になるというのはどのように考えればよいのでしょうか。父のような立場にいるクリムトのパートナーと一緒になることは母を求めることであり、クリムトに対する尊敬と葛藤的な気持ちが共存していることを察しなくもありません。シーレは4年を共にしたノイツェルのことを「彼女は結婚相手にはふさわしくない」と言って別れを切り出したそうですが、シーレの自立を意味するエピソードだったのかもしれません。シーレにとって記念すべき日となった第49回ウィーン分離派展の直前にクリムトは他界します。クリムトはグループメンバーを描いた作品を手直しし、机に向かうクリムトの席を空席として描きます。ここには強い尊敬と共に、威厳ある父に向けた恐れもあるように感じました。そして、その数ヶ月後にシーレも28歳の若さで他界することになります。

参考:クリムト展・ウィーンと日本2019

結婚生活に見えるもの

 ノイツェルと別れて、向かいの家に住んでいたエーディトと結婚することになります。ただ、このエピソードについてはシーレが二股を掛けようとして、ノイツェルから離れたという説もあるようです。この結婚生活はシーレにとっては随分と嬉しいものだったようにも思います。というのも「僕ら人間は互いに愛し合うべきなんだ」などの言葉を残しているようで、これまで公序良俗に反することを指摘され続けてきた男の言葉とは思えないほどにロマンチックです。しかし、結婚3日後に第一次世界大戦が勃発しシーレも従軍することになります。彼の才能のお陰か、軍属ながら作品に取り組むことが認められ、第49回ウィーン分離派展に出店し大変な評価を得ます。成功した画家として高級住宅地にアトリエを構えたのが1918年7月となり、まさに人生の最高潮であったと思われます。しかし、10月に妻がスペイン風邪によってシーレの子を身篭ったまま他界、その3日後にシーレも同じ病によって命を奪われます。結婚にしても、仕事にしても実態のあるものを掴んだ途端に破壊される運命を繰り返した人生だったようです。

印象に残った作品から

 さて、色々と問題作の多かったというシーレの作品ですが、個人的にとても印象に残ったのは母子をモデルにした作品でした。「母と子」と「母と二人の子どもII」です。

「母と子」1912年

 子どもを抱いた母とこちらを見つめる幼い子どもの絵画です。疲れて目を瞑っている母親が我が子を固く抱きしめています。子どもの目はぎょろっと大きく見開いてこちらを凝視しており、言いようのない怖さを感じるのが第一印象でした。しかし、よくよく見るとその絵には、母子の間にある固い絆と確かな愛情が漂っており、疲れた母親がそれでも我が子に向ける想いに自分が畏怖していることに気付きます。どこにでもある光景ですが、この世で最も確かなものなのかもしれません。

「母と二人の子どもII」1915

 まるで幽霊のように生気のない母親が、今まさに死の淵にいるような暗い顔を持つ我が子を抱いています。母親のもう片方の膝には、鮮やかな色の服を身に付けた明るい顔を持つもう一人の子どもがいます。母親の視線は明るい顔の子どもに、その子どもの視線は自分とは反対の膝にいる暗い顔の子どもに向けられています。これは亡くなったキリストを抱き嘆く聖母マリアを描いた作品「ピエタ」の構図を模倣しているということですが、その後の復活を予感させる雰囲気はありません。勝手な解釈ですが、母親は子どもとの対峙で疲れて果てており、子どもは母を消耗させる悪い子であるはずなのに、母親は良い子の面に目を向けようとしている。しかし、子ども自身は悪い自分の存在に気付いており、その自分を無視できないという物語が浮かんできます。シーレの自我がまとまりを欠いていたことを考えると、自分を分裂させ捉えること、そして、その悪い自分を無視できず母を苦しめる存在であったことに対する何らかの思いを抱いていたことも考えられます。

 シーレがノイツェルを描いた「悲しみの女」ではシーレが彼女を困らせる存在のように描かれています。ノイツェルが父であるクリムトのパートナーであったことを考えると、子どもが母親を困らせることはシーレにとって重要なテーマであったのかもしれないと思いました。

シーレが求めたものとは何だったのか

 母子の絵を見るとシーレが求めたものは、一貫して自分が「なぜ産まれたのか」「自分がどうして産まれたのか」という問いへの答えだったように思います。自分の身体を細部まで観察し、子を産む母体を研究し、自分がなぜここに存在するのかということを知ろうとしたのではないでしょうか。彼の描きたかったものは性の美しさではなく、生の確かさなのかもしれません。

 彼はこの問いに何かしらの決着をつけたのだと思います。シーレの結婚への昂まりは自らが産み出す存在になったということでしょう。彼の「自分とは何者なのか」という苦しみに対して、創造者としての価値を持つことを見出したということです。しかし、上述のように彼の得た確かさは短い期間で終わりを迎えて、儚くこぼれ落ちていくことになります。悲劇的な画家であったことは間違いないだろうと思います。

おわりに

 シーレが生きた時代はフロイトが生きた時代でもあります。心の奥にある無意識への探究が始まった時代であり、フロイトが性との関連でヒステリーを論じたように、無意識と性の繋がりに関心が向けられた時代であったのだと思われます。シーレの作品には人間の根源を求めるような迫力があります。おそらく、多くの人が抱えている不確かさを成人になっても抱え続け、表現し続けていたのではないでしょうか。

参考:ウィーン・モダン/クリムト、シーレ世紀末への道

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カウンセリングの困りごと12・面接期間の設定 https://machida-cog.com/column/counseling/problem_in_counseling12/ Mon, 28 Nov 2022 06:53:16 +0000 https://machida-cog.com/?p=2195 はじめに

 自分の悩みを解消するにはどのくらいの時間が必要なのかというご質問を受けることは少なくありません。多くの時間と費用が掛かるわけですから、気になることは当然でしょう。

 前回のコラムではカウンセリングの頻度について考えました。今回は開始をしてから終結するまでにかかる現実的な期間を扱いたいと思います。

面接期間とは

 毎週か隔週かの頻度の違いは面接に費やす時間の違いこそありますが、1年通うのであればどちらも1年間は悩みに向き合おうと気持ちを固めたことになります。面接と面接の間の時間も、話をしたことや連想が頭に浮かび、そのことに目を向け続けることになります。頻度の違いはあっても、1年間は自分の心への感度が高い期間と言うことができるでしょう。今回使用している「面接期間」という言葉は、このような感度の高い期間を指す言葉として用いており、インテーク面接から終結までの現実時間のことです。

 なお、面接がどのような経過を辿るものかについてもまとめてありますので、よろしければご覧ください(参考:カウンセリングの過ごし方)

期間が長くなることに伴う生活への影響

 当然のことですが、来室するためにかかる経済的・時間的コストは短期間の面接の方が少なくなります。負担が少ないほうが良いと考えるのは自然なことでしょう。また、悩みや負担を抱えながら来室するのであれば、その時間が少なくなってほしいと望むことも当然です。

経済的・時間的負担

 カウンセリングに要するコストを支払い続けることは非常に大変なことです。毎週同じ時間を空けておかなけなければいけませんし、安くない金額を手元に残しておくことが必要です。この負担が生活を圧迫する感覚を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。特に、自分に余裕がない時にカウンセリングルームを頼って来られる方にとっては、負担が一層重いものと感じられるはずです。

心が揺れる負担

 さらに心の感度が高まることで、これまで目を向けてこなかった心の痛みや思い出したくもない過去のエピソードにさらされることにもなり、かえって辛い気持ちが増したように感じることもあるはずです。心が揺れることが生活に影響を与えることも考えられます。

 余談ですが、揺れがあまりにも大きいようであれば、面接の頻度を増やすという選択も必要になります。(参考:カウンセリングの困りごと11・面接頻度の決め方)

期間は短い方が良いのか?

 以上の影響を考えると、面接期間は短い方が良いではないかと言われてしまいそうですが、そういうわけでもありません。短期間での実施ですと悩みごとの解消や整理の時間が足りないこともありますし、表面的なお話をして終わってしまうことにもなりかねないからです。さらになるべく短期間で通室を終わらせようと思うことで、話の進行は急ぎ足になり自分の気持ちに十分に目を向けることが難しくなることもあります。

 歌手の宇多田ヒカルさんが9年間に渡って週に複数回の精神分析を受けていたという体験を語っておられます(「宇多田ヒカル 精神分析」などと検索すれば詳細が分かると思います)。宇多田さんはその時間の中で自分の心が豊かになっていく体験をしたとおっしゃっています。おそらく、この体験は短期間の面接では得ることができなかったものでしょう。

目標と期間の関係

 面接期間を規定する要素の一つに目標をどこに定めるかということが挙げられます。例えば、自分の考え方の癖を振り返りたいなどの目標であれば、比較的短期の実施となりますし、宇多田さんのような体験を目標にするのであれば必然的に長い時間が必要になります。はじめにカウンセラーと面接の目標を共有しておくことが必要でしょう。

 ただし、当初に目標を定めたとしても、話をしていく中でさらに考えたいことや知りたいことが見つかることは稀ではありません。短期間の面接を希望されて来室された方が、随分と長期に渡って来室されていることもあるのです。そのため、目標設定は(仮)という側面が常にあり、変化し得るものであると思っておくべきです。

不本意な面接期間

 目標や面接で扱いたい事柄が定まっても、様々な事情で面接期間を十分に持てないことがあります。例えば、仕事の都合や経済的な事情などはどうにもならないことでしょう。現実的な事情を無理に調整して利用することは面接期間を維持することが出来なくなりますので、初めから多大な時間を要する目標を立てるべきではないと思います。よくあることが有給休暇を利用して継続面接を行おうと考えることですが、この方法は必ず破綻するものです。

 期待する面接期間を捻出できないのであれば、それは不本意な面接期間と言わざるを得ません。ですが、人によってじっくり心に向き合えるタイミングがあると思います。まずは急ぎ扱わなければならない目標に焦点を絞り、準備が整った時期に改めて腰を据えたカウンセリングを行うことを考えることも一つの作戦でしょう。

期間を定めないこと

 一方、初めから期間を定めない方法もあります。我が国ではこちらの方が主流だと思います。その場合も、1年は継続できそうとか、当面の間は通うことが可能だろうなど、長期間に渡っての利用を自分が想定できるか、現実的に可能かどうかを考えておきましょう。数年単位で利用されている方の多くは、心の平穏を得るための振り返りを行うためなど、生活のリズムに面接が組み込まれているように思います(参考:カウンセリングの時間が持つ意味)。

 注意点としては、自分の心を豊かにするとか、これまで見ることのできなかった自分と出会うなどの結果を得るためには、期間を定めてしまうと難しくなることです。面接期間を定めるということは終わりを見越すということですから、どうしても目標思考的になってしまい脇道に目を向けにくくなるからです。

面接期間を定める上での注意点

 心を見つめる上で一番困るのは突然の来室困難です。というのも、このくらいの期間はお約束が出来るだろうという見通しを持って、我々カウンセラーも実施をしております。深い話をすれば、前を向くための心のケアの時間も必要でとなり、この時間を見越して面接期間は計画されているのです。そのため、突然の中断はケアされることなく心が開いた状態のままお別れをすることになりかねないので、とても危険です。

 現実的な事情が生じた時はもちろんですが、通うことが負担になっている時も遠慮なく話題に挙げてください(参考:カウンセリングの困りごと7・辛い気持ちが蘇る)

 そうは言っても、現実的に突然来室が難しくなることはあります。予期せぬ転勤や家庭環境の変化などがあるでしょう。そのような時でも、面接中断後の生活の仕方や留意点を確認するために一度はカウンセラーと会って話をしておいた方が良いと思います。

状況を共有しておくことが大切

 先ほども申し上げましたが、面接期間というのは設定した目標によって決まりますし、そもそも話をしている中で目標も変化していくものです。そして、現実的な事情から面接期間を十分に取れないことも生じます。今、自分がどのくらいの面接期間を持つことが出来るかはカウンセラーと共有しておいた方が良い情報です。そして、状況が変わっていないか、あなたとカウンセラーが描いている面接期間にズレがないかのすり合わせは適時行いましょう。

おわりに

 今回は面接を行う期間についてお話をしました。カウンセリングを希望される方の中には即効性を期待される方もいらっしゃいます。しかし、悩み事の内容によっては時間を要するテーマであることも少なくありません。開始初期の段階でこのバランスが釣り合うようにしておくことが、納得のいくカウンセリングを行う上で必要であることは間違いありません。

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非正規雇用に伴うメンタルヘルス上のリスク https://machida-cog.com/column/social/mental_health_of_irreguler_workers/ Sun, 30 Oct 2022 13:30:52 +0000 https://machida-cog.com/?p=2179 はじめに

 正規、非正規という雇用の区分は我が国では馴染みのものとなりました。そして、この区分に伴って格差や低所得の問題もまた身近な話題となったのではないでしょうか。

 本コラムでは非正規雇用に伴う問題点を概観し、正規雇用に比べて生じやすくなる心の健康リスクについて考察しようと考えています。

非正規雇用とは

 非正規雇用とは有期契約や短時間契約、間接雇用によって働く労働者を指します。パートやアルバイト、契約社員、派遣社員などが該当します。行政機関では会計年度任用職員という言葉が出来ましたが、こちらも非正規雇用です。

 正規雇用の場合、雇用主には従業員を雇用保険や社会保障への加入させることが義務付けられています。フルタイム・無期雇用が原則で、万が一、解雇される時には法律によって手厚く保護されます。この違いが非正規雇用が正規雇用に比べて不安定な就労となる要因でしょう。

就労に伴うリスク

 非正規労働者数は2010年以降増加をし、ここ数年はやや減少してはいますが、ほぼ横ばいと言えます。2021年の労働人口の統計を確認すると、36.7%にあたる2,075万人が非正規労働者となるようです(厚生労働省より)。一部の方の雇用の問題とするにはあまりにも多い人数のように思います。非正規雇用である場合、以下のような就労上の不利益を生じます。

雇い止め

 有期雇用であれば、定めらた期間を超えると雇用の保証がないということです。単年度であれば翌年に自分がその場所で働いているかが分かりませんし、3年、5年契約でも近い未来に不安を持つことは同じです。加えておきますと、雇い止めは解雇ではなく契約の解除ですから雇用主は保障の義務を負いません。

 また、有期雇用であっても5年を超えると無期雇用にすることが出来るという「無期転換ルール」が定めれてから、さらに雇い止めが有無を言わさないものになったと感じています。

キャリアの貧困

 非正規雇用ですと、一般的には単純作業などに従事することが多く、長年勤められたとしても、仕事に必要なスキルが身につきません。そもそも、組織の核となる業務や意思決定に参加をさせてもらえないので、経験を積む機会が失われてしまうのです。

 同一労働同一賃金の号令によって、正規職員と同様の業務を行っている非正規職員がいることが指摘されている昨今ですが、今は同じ業務であっても10年後、20年後にはやはり割り振られる業務は異なるはずです。機会の損失は職業人としての成長を奪うものであり、再就職先などを探すときに大きく響きます。

低所得

 非正規雇用で働く場合は、一般的に正規雇用よりも収入が低くなります。高校生のアルバイトと大差のない時給で働いている方も珍しくはないでしょう。特に働き盛りである30代、40代、50代と年齢が上がるに連れて待遇の差は顕著になります。雇い止めやキャリアの貧困の問題が重なることで、低所得の生活から抜け出せなくなります。一番恐ろしいことは、この事実に気付いた時には既に挽回が難しい状況に立たされていることが少なくないことかもしれません。

社会保障の欠如

 正規雇用であれば、健康保険、厚生年金など、生きていくために必要な社会制度に強制加入させられます。一方、非正規雇用ではこれらの加入が認められていないことが少なくありません。自身で国民健康保険、国民年金を支払うわけですが、そもそも低調な所得の中で自主的に支払いを行うことの負担は少なくないはずです。中には未払いが続き、将来の死活問題となる方もいらっしゃるようです。

居場所のなさ

 職場の同僚というのは毎日顔を合わせるメンバーです。負担になることもありますが、関係を作って受け入れられることで、組織を自分の居場所と感じるようになります。しかし、不安定な雇用では人間関係を持ち、受け入れられる機会を得ることは難しくなります。職場は単にお金を頂くだけの場ではないのです(参考:職場が持つ居場所としての役割)。

私生活への影響

 以上のような不利な条件が揃えば、生活が苦しくなることは想像に難しくありません。収入が少ないことで生じる問題として、必要なものを十分に変えない貧困や、日々仕事に追われて人生の彩りを失ってしまうことなどが懸念されます(参考:貧困による心理的影響について)。

 また、お子さんがいるご家庭では保護者が仕事に忙しくなってしまい、十分なスキンシップを取れない可能性が増えますし、時にはお子さんが年齢以上の分量の家事を担わないといけないことも生じています(参考:ヤングケアラーをめぐる課題)。

 さらに、突然の雇い止めによって生活水準が急降下するリスクを常に感じることにもなるため、将来のライフプランを考えることが難しくなります。

心の健康への影響

 メンタルヘルス上の問題として懸念されることは、抑うつ気分や不安感などが慢性的なものとなることでしょう。重篤になればうつ病や適応障害、不安障害、パニック障害などの診断を受けることになります。辛い状態でも頑張って働かれている方はいらっしゃいますが、正規雇用であれば休職などの療養期間を権利として求めることが出来るかもしれないのです。休むべき時に休めないことで症状が快方に向かわないことも懸念されます。

孤独感を感じやすくなる

 また、不運にも周囲に心の内を話せる方がおらず、孤独感に耐え続けている方も非正規雇用の方には少なくないように感じます。これは、先程のご紹介したように職場から居場所としての機能を得られないことと、低収入が影響して家族との時間を持てない、作れないという状況に立たされやすくなるからです。慢性的な孤独感は心の健康も大きく損ないます(参考:孤独の苦しみへのカウンセリング)。

意識しておきたいこと

 仕事が全てでないというご意見も頂きそうですが、多くの人々が働いて生きているわけですから、仕事との付き合い方は無視できるものではありません。非正規雇用として働くのならば、孤立してしまうことを避けることが最も意識すべきことではないかと思います。

 もし心の不調を感じる場合は早めに心療内科などを受診することをお勧めします。休職などの制度が十分に整っていない非正規雇用では、働けなくなってしまうことによって生活の術が途端に失われてしまうからです。

おわりに

 そして、不本意に非正規雇用として従事している場合に、現状を変えようとして焦りすぎないことも申し添えておきたいと思います。現在の社会構造は不本意な非正規雇用の原因が全て本人にあるということではないと思います。それは、抜け出すことも本人の努力だけでは叶わないことを意味しています。心身の健康を保ち、長距離マラソンを覚悟してチャンスを窺う気持ちを持つことが大切ではないでしょうか。

付録/社会の動き

 以下では、近年、非正規雇用に関連して話題となっている法改正や社会意識について触れておこうと思います。

同一労働同一賃金

 正規労働者と非正規労働者の間の待遇差をなくすために、同じ仕事に支払われる報酬は同じにすべきという意識の下で法改正が行われ、2021年4月より開始されました。しかし、何をもって同一労働とするのかが難しいことと、場合によっては非正規労働者に単純労働を集中させる動きを加速させて、キャリアの貧困を加速させる恐れを感じるものでもあります。

終身雇用の崩壊

 こちらは社会意識ですが、大手企業の早期退職者募集が相次ぎ、日本社会伝統の新卒から定年までの雇用文化に疑問が投げかけられました。近年のCOVID-19による企業の業績悪化も、この意識を促進させる一因となったはずです。しかし、終身雇用制度が崩壊する前に非正規労働者から雇用の調整を行う事実を知っておく必要があります。

ジョブ型雇用

 ジョブ型雇用とは、仕事内容をより明確に定めて、その職務の専門家として手腕を発揮できる人材をピンポイントで雇うという考え方です。転職の促進や特別な技能を持つが組織になじみにくい方の活躍を促すものとなるでしょう。しかし、この考え方は実力主義を前面に押し出したものでもあります。能力のある方には歓迎すべき制度かもしれませんが、多くの普通の日本人にとっては競争社会に放り出される側面も否めません。

個人事業主と気になる法改正

 昨今では、某デリバリー業者の業態や企業の副業解禁の動きなど、個人事業主として働くことが美化されすぎているように感じます。近年の不安定な情勢の中で自分で稼げる働き方を選べるようにするという考え方は正しいのかもしれませんが、自己責任の下で事業を行うデメリットがあまり伝えられていないと思うのです。

 そして、個人事業主が増える未来を見越してかは分かりませんが、一層の税負担を課す法律も作られ始めました。その一つがインボイス制度です。多様な働き方を選べることは良いのですが、組織の後ろ盾がない中で様々な負担に一人で対応するリスクはよくよく考えることが大切でしょう。

参考

厚生労働省HP(外部リンク)

心理職の方へ

 心理職の場合は非正規雇用で働かれている方が少なくありません。若手の方で心理職のキャリアについて迷われていたり、将来の働き方について同業者の意見を聞きたいというご要望があれば、個別で相談に応じます(無料)。

 お仕事の紹介は出来ませんし、あくまでもアドバイス程度のものですが、迷われているようであれば、お気軽にご連絡ください。お問い合わせフォームか、専門職支援のページよりご連絡ください。

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対人依存に悩む人へのカウンセリング https://machida-cog.com/column/psychotherapy/interpersonal_dependence/ Thu, 29 Sep 2022 06:14:34 +0000 https://machida-cog.com/?p=2165 はじめに

 誰かに頼りたいとか甘えたいという気持ちは誰にでもあるものですが、この気持ちが過度になると、依存と言う言葉で表現されることになります。依存が何に向かうかは人それぞれですが、家族や恋人などを対象とした依存の場合は対人依存などと表現されることがあります。多くの場合、自立を妨げることになりますので、社会適応や内面の成長と関連した話題となることが多いです。

 本コラムでは、対人依存がどのような状態か、日常生活に及ぼす影響は何か、背景にはどのような事情が考えられるのかについての理解を深めていきたいと考えています。

依存症とは

 依存症と言われると、主にアルコールやギャンブルなどに過度にのめり込んで生活を破綻させてしまう様子をさします。厚生労働省のHPの定義では、

特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです。

と記載されています。アル中などの言葉で揶揄されることもありますので、イメージを持ちやすいのではないでしょうか。依存症は嗜癖とかアディクションなどと言われることもあります。

 当コラムでも依存症についてまとめておりますのでご覧ください。(参考:依存に関する悩みについて)

対人依存

 今回は上記の依存症とは異なり、対人関係上の依存についてまとめる予定です。対人依存と言う言葉は造語かと思いますが、医学的には「依存性パーソナリティ障害」などの診断がつく方が該当するかと思われます(後述)。

 では、依存的な人と言うとどんな方を思い浮かべるでしょうか。恋人関係ではパートナーの前で決して自己主張せずに従順に従う傾向が強いことや、親子関係では子どもが親にべったりで何をするにも親の意向を確認する様子などが思い浮かぶかと思います。共通することは主体性の乏しさと言えるでしょう。

生活への影響

 対人依存の傾向が強いとどのようなことが起こるのでしょうか。以下で見ていきたいと思います。

自己選択に関する不利益

 主体性を持ちにくいということは、他者によって自分の在り方が左右されやすいことを意味します。保護者の極端な価値観に反抗もせずに取り返しのつかない人生を歩まされてしまうことや、恋人の趣味趣向を同じようになぞることなどが起こり得ます。

 他者の影響が自分の糧となるのであれば良いのですが、依存が背景にある場合は、自分が確立されずに飛び石のような繋がらない生活史を歩むことになるはずです。

人間関係上のリスク

 従順で過度に相手に合わせてしまう傾向は、時に悪意のある他者や思いやりのない相手から搾取される対象に選ばれることがあります。加えて、主体的な発信の苦手さは関係を長期間持続させる一因となることがあります。依存には変化をすることを拒む面もありますので、相手の意向で自分の将来が決定されるリスクを高めるものとなるでしょう。

どんな性格?

 依存対象となっている相手によって、表にあらわれる性格は幾らか変化するかもしれません。しかし、本来は内気で引っ込み思案の方が多いように感じます。中には他者と向き合うことを恐れがちで強い緊張を覚える方もいらっしゃるようです。一方で、努力家の方が多いようにも思います。相手に嫌われないためにという気持ちからかもしれませんが、自分を変えて状況に合わせていく努力を陰で頑張っている方が少なくないように思います。関連してですが、相手の気持ちや他者の人間関係(参考:他人の会話が気になる)を細かく観察しがちな傾向も感じられます。

悩めない悩み

 さて、これはご本人の悩みに関することですが、自分のことを悩めないという特徴が挙げられると思われます。思慮深く考えるのですが、それは依存対象となる他者との関係性であったり、相手の機嫌について心を巡らせることが中心となるため、本当の意味で自分のことで悩むということができません。自分のことで悩むということは一人になれることですから、彼らは「悩めない悩み」を抱えていると言えるでしょう。

依存しつつ依存できない

 少し書いてしまいましたが、対人依存の傾向が強い方の頭の中では、他者が多くを占めています。そして、自分と相手との関係について思いを馳せていることが多くなります。穏やかな時間が過ぎている間は、暖かく嬉しい気持ちになるのかもしれません。しかし、自分が相手から突き放されないかと言う見捨てられ不安が常に横たわっています。

 依存という関係は相手との対等な関係ではありません。依存する側は服従をする立場に置かれ相手の意向で運命が左右されてしまうことから、確かな人間関係とか絶対に切れない人とのつながりを実感しにくくなります。そして、実際に長く安定した関係を続けることが難しい方が少なくないようです。

 ただし、長く対人依存が続いている方には、依存しつつもどこかで冷静に期限のある関係性であると達観している様子を感じることがあります。依存しつつも依存できない心境は対人依存の本質ではないでしょうか。いつまでも確かな絆を持つ関係を得られないからこそ、求めて依存し続けるのかもしれません。

依存性パーソナリティ障害

 対人依存をより理解するために、DSM-5の「依存性パーソナリティ障害」を概観しておくことは必要だと思います。DSM-5では以下のとおり規定されています。

面倒を見てもらいたいという広範で過剰な欲求があり、そのために従属的でしがみつく行動をとり、分離に対する不安を感じる。成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)によって示される。

1.日常のことを決めるにも、他の人達からのありあまるほどの助言と保証がなければできない。

2.自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらうことを必要とする。

3.指示または是認を失うことを恐れるために、他人の意見に反対を表明することが困難である(注:懲罰に対する現実的な恐怖は含めないこと)。

4.自分自身の考えで計画を始めたり、または物事を行うことが困難である(動機または気力が欠如しているというより、むしろ判断または能力に自信がないためである)。

5.他人からの世話および支えを得るために、不快なことまで自分から進んでするほどやりすぎてしまう。

6.自分自身の面倒を見ることができないという誇張された恐怖のために、1人になると不安、または無力感を感じる。

7.1つの親密な関係が終わったときに、自分を世話し支えてくれるもとになる別の関係を必死で求める。

8.一人残されて自分の面倒を見ることになるという恐怖に、非現実的なまでにとらわれている。

 この基準を見ると、単に依存傾向が強いことと病理としての側面を持つ依存の程度が異なるものであることが分かると思います。ですが、記載されているほどではないが、私にもあるかもと思われる方はいらっしゃるのではないでしょうか。この基準に近い傾向がご自身の中にあると感じるようであれば、ご自身の生き辛さとして向き合ってみても良いのかもしれません(参考:パーソナリティ障害の悩みと影響)。

対人依存の背景として考えられること

 それでは、対人依存の背景として、どのようなことが考えられるのでしょうか。ここはG.O. Gabbard(2019)にあたると良いかもしれません。彼は、依存性パーソナリティ障害の研究をまとめ、幼少期に自立を拒絶される環境があったことや、感情表出が少ない家庭傾向が関連していることを見出した研究結果を紹介しています。

 また、私見ではありますが、見かけ状の対人依存というものも存在すると感じます。例えば先のイメージが持ちにくいとか、やるべきことや手順を頭の中で整理することが苦手などの発達障害の特徴を強くお持ちの方は、他者に判断を仰ぐ必要があるため、結果として依存的な人と誤解されることがあるように思います。

 さらに、うつや心的外傷により判断する能力が落ちている状況でもやはり依存的な様子を見せることがあるでしょう。しかし、この場合も理解ができる依存であり、また、対人依存が本質的な問題ではありません。

カウンセリングでは

 対人依存をカウンセリングで扱う場合は、カウンセラーへの依存が起きることが多いです。早い人ではインテーク面接の段階から急激に距離が近くなることもあります。これは、解決を目指す目標ではありますが、初期の段階ではカウンセラーに対して依存の気持ちを向けることは良好な関係を作る上で必要ですから、むしろ依存的になるくらいでも良いと思います。

 大事なポイントはある程度のカウンセリングを経てから訪れます。関係が続けば相手に不満を持つものですが、これはカウンセラーに対しても例外ではありません。この不満に気付いて、二人の間で言葉にできるようになることが非常に大切なことです。不満を言っても切れない関係を体験することによって、依存とは異なる確かな関係性を知ることができるはずです。

 これは、注意喚起のための発言ですが、カウンセラーが相談者の依存心や信頼感を利用してカウンセラー自身のために搾取するという報道がなされることがあります。対人依存に悩まれる方は、カウンセリング関係がこれまでの人間関係を反復していないかどうかに意識を向けておくだけでも自己防衛をしやすくなるはずです。そして、もし被害にあった場合は、遠慮なく資格協会などに連絡をしてください。

終わりに

 依存というのは決して悪い感情ではないはずです。人と繋がろうという気持ちは何よりも尊いものであるはずです。しかし、過度な依存は自己破壊的な面を含みます。自分と相手がwin-winの関係にならないのであれば、その関係に生じている破壊的な面に目を向けることが必要でしょう。

参考

  • G.O. Gabbard(著), 奥寺崇(監訳)(2019). 精神力動的精神医学 第5版, 岩崎学術出版社.
  • 厚生労働省のHP(外部リンク)
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失敗を恐れる気持ち https://machida-cog.com/column/kokoro/fair_of_failure/ Wed, 31 Aug 2022 02:53:53 +0000 https://machida-cog.com/?p=2147 はじめに

 失敗することは誰でも恐いものですが、恐れが過度になることによって人生の大切な機会を逃してしまう方にお会いすることがあります。そこには単なる自信のなさでは済まない気持ちが働いているようです。

 本コラムでは失敗を過度に恐れる気持ちと、当事者の悩みへの理解を深めていくことを目的としています。

失敗が生じる場面が適切か

 人は生きていく中で多くの困難と出会います。時に大きな責任を伴うものや自分の評価を決定付けてしまうような場面もあり、このような場面で恐れを抱くことは当然のことなのかもしれません。前者では大口案件の仕事や会社や家族の運命を左右する場面、後者では大切な試験や一度失敗したことを挽回する場面などを挙げることが出来そうです(参考:責任を重荷に感じる人へのカウンセリング)。

 しかし、上述のような誰でも恐れる気持ちを抱く場面だけではなく、客観的には大した事ではない場面でも戸惑い、避けようとするのであれば、失敗を恐れる気持ちが強いと言えます。このような悩みを抱えているのなら、社会適応に影響が出ていると言って良いのではないでしょうか。

決断の困難

 どんな些細なことであっても、私たちは決断をしながら過ごしています。例えば今日の夕食を何にしようかとか、明日の会食の服装をどうしようという選択は自分で決めなければいけません。しかし、失敗を恐れる気持ちが大きくなると決断に多大な勇気が必要になり、人生の重大決定を行う程の覚悟を要するようです。そのような心持ちがあると、思考も行動も先に進めなくなる心境は分からなくはないでしょう。

 失敗を恐れることは決断することの困難とセットになりやすいことは知っておいて欲しい事柄です。

現実適応の負担

 失敗を恐れる悩みによって、様々な場面で上手くいかないことが増えることが想像できるのではないでしょうか。いくつかの項目に分けて考えてみたいと思います。

社会生活

 例えば受験や就職などの人生の岐路に立たされる場面は、決断のプレッシャーと将来の不安が重なります。仮にこの岐路を通過しても、その先に待っている新生活を上手く過ごせるのかという心配が生じることもあり、心が休まらないまま新生活を迎える方がいます。

 仕事では責任を避けることが難しく、さらに結果が評価に反映されます。失敗を恐れる気持ちが機会を奪い、昇進はおろか仕事の達成感や充実感を感じることができず、人生のチャンスをや彩りを失うことになる可能性は否定できません。

人間関係

 常に余裕がなく不安や恐怖で一杯という様子は人間関係に大きく影響します。気心の知れた相手を得る機会は減り、批判や叱責の対象にもなりやすいでしょう。おそらく、自分が避けた責任や決断は他の人が担っていることでしょう。意図せずとも失敗を恐れて責任を負いたくない気持ちから、誰かに負担を押し付ける行動をしていることになります。周囲からは、ずるい人とか自分勝手な人と思われることが十分に予想できます。厳しい表現になりますが、どこか依存的な人間関係を形成することによって安心を得ようとしている側面もあるのかもしれません。

心理的負担

 日々、失敗を恐れる気持ちを感じているのであれば、抱える負担も相当のものでしょう。上述のように、機会を失うことは悩みから抜け出すことを難しくします。恐れて避けることが、かえって悩みを長期に渡るものにしてしまうのです。

 さらに、上手く適応できていないことは自己評価を下げることになりがちです。自分の価値を信じられず、ネガティブな面ばかりに目が向いて鬱々とした気持ちになりやすいこともまたリスクと言えます(参考:自信が持てない人へのカウンセリング

全体像として

 ここまでお読み頂くと、当事者がとても窮屈でリラックス出来ない状況で過ごしており、また、出口が見えにくい悩みを抱えていることが感じられるのではないでしょうか。失敗を恐れることは社会的に孤立するリスクを含んでいることも強調しておきたい点です。そして、失敗を恐れて前に進めなくなることで、長きに渡る負の循環に囚われるリスクもあるのです。

悩みの背景要因

 同じ場面でも悩みを抱える方とそうでない方の間で、受け止め方が異なるのは何故でしょうか。背景要因を2つほど考えてみました。

見積もりの過誤

 何かを行う時に失敗する可能性を過剰に捉えている可能性はないでしょうか。例えば、車の事故は日々ニュースになっていますが、これだけ多く車が走っている中では、事故の確率はとても低いと言えます。

 また、この決断が取り返しのつかないことなのだろうかと考えることも必要でしょう。後に修正することができる可能性があるのか、失敗が致命的なものとなるのか。このことを考えて、自分の失敗への恐れが妥当かどうかを振り返っても良いのかもしれません。

完全成功への期待

 何かを行う時に私たちは結果を期待しています。仕事をこなして認められることや会社の利益に貢献すること。相手の望むことを提供して喜んでもらうことなどが結果です。しかし、100%思い描いた未来になるとは限りません。最初の期待が確定された未来のように捉えてしまうと、失敗を恐れる気持ちも強くなるのではないでしょうか。

自己効力感について

 自分がある行動を行うことで、目的を達成できると考える程度のことを、自己効力感と言います。失敗を恐れる方はこの見通しが悲観的であることが考えられます。自分が行動を起こしても何等かの影響を及ぼすことができない(低水準の効力期待)、あるいは自分だけ大きなミスを引き起こしてしまう(見積もりの過誤)などの影響力についての誤信が生じていることがあります。

 また、影響を及ぼせても目的は達成できない(低水準の結果期待)、自分の望むものには到底届かない(完全成功への期待)と捉えてしまいやすいことも挙げられそうです。

悩みが大きい時に考えられる疾患

全般性不安障害との関連

 何をするにも不安を感じるということであれば、失敗をするかもしれないという悩みもまた強くなるでしょう。不安は対象がなく、恐怖は対象があるなどと言いますが、よく分からないけど失敗するかもしれないという感覚は、物事に向かっていく上で自分が何に恐れを感じているのかが特定できない状態とも言えるのかもしれません。

自閉症スペクトラム障害(ASD)との関連

 自閉症の傾向を持つ方は先の見通しが持ちにくいと言われています。このような背景をお持ちの方も、失敗に対しての恐れは人並み以上になるかもしれません。ただし、自閉症スペクトラム障害の場合は、先の見通しを持てると安心して取り組みやすくなります。自分が見通しを持つことで、どの程度安心できるかを振り返ってみると、自己理解につなげやすいかもしれません。

回避性パーソナリティ障害

 負荷が掛かる時に、過度にその場面を避けようとする傾向は回避性パーソナリティ障害との関連を考えないわけにはいきません。ですが、回避性パーソナリティは他の症状とセットになっていることも多いです。背景要因が何かはより精査をしていくことが必要になります。

トラウマ体験やPTSDによるもの

 過去に大きなミスや失敗をしてしまった体験があると、同様のミスをしないかどうかを過度に気にするようになるのは当然でしょう。失敗の体験に周囲からの叱責や大きな喪失などが伴うと、同様の場面でフラッシュバックが生じる可能性も考えられます。意識的に体験を思い出すだけでなく、身体が動かないなどの運動機能の抑制などが生じることもあります。(参考:トラウマへのカウンセリング)

カウンセリングでは

 ここまで概観してきたお話を振り返ると、「失敗を恐れる悩み」の背景には様々な要因が隠れていることが分かります。この悩みを持つ人は慎重な人とか内気な人などと表現されることが多いですが、必ずしも性格に起因するわけではないことも添えておきます。

 この悩みをカウンセリングで扱うとしたら、まずはしっかりとしたアセスメント期間を設けることが必要になります。そうして、背景をカウンセラーと共有しておくことが大切でしょう。単に勇気を出して頑張ろうでは済まない事情が隠れていることがあるためです。

悩みを持つ方へ

 おそらく、この悩みが自然に良くなるためには多大な時間が掛かると思います。おおらかな気持ちを持つとか、失敗しても気にならなくなるといった心境の変化は、大きなきっかけがないと起こりにくいからです。特に生活に変化が少ない方ほど、悩みの悪循環から抜け出せなくなるリスクが高いため早めに取り扱うことが必要です。ご家族や友人などでも良いので、まずは誰かに心の内を打ち明けてみることをお勧めします。

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