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はじめに
2020年6月より国立西洋美術館にて開催されています。当初は3月に開催される予定でしたが、コロナウィルス感染症の流行に伴い会期が変更となりました。美術館内は感染症予防のために入場制限などの対策を行なっておりますが、それでも、チケットが売り切れる時間もあるほどには来館される方が多かったようです。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
同国立美術館は1824年にイギリス政府がJ.J.アンガースタインの所有する絵画を邸宅ごと購入し、市民に開放したことが誕生のきっかけとなりました。絵画を鑑賞するという時間をより身近なものにしたいという思いがあったようです。その後、個人からの寄贈などを経て所蔵する絵画を増やしていきます。以前、紹介したコートールドなども同館の発展に尽力した人物の一人でした。今回の展覧会では全ての展示作品が初来日したものであるということです。
空想から現実への推移
本展示はルネサンス期から近代に向かう形で作品を展示しています。ルネサンス期といえば宗教画が主であり、展示も受胎告知や聖母子などの作品から始まります。気になる絵画の一つはカルロ・クリヴェッリ「聖エミディウスを伴う受胎告知」の作品です。受胎告知の場面に、舞台となっているアスコリ・ピチューノの街の自治権が認められたことを記念する描写が描かれています。神聖で幻想的な場面の中に世俗的なものが持ち込まれているわけで、神の威厳に水をさすようにも受け取れてしまいます。
さて、この展覧会のある意味の特筆すべき点は神という空想に現実が溶け込み侵食していく様を絵画の変遷によって眺められることだと思っています。宗教画から始まった鑑賞が最後には静物や風景画などに変わっていく様は、不遜ではありますが人間にとっての神という存在の重みが変化していったことを表わしているはずです。ここに哲学者ニーチェの「神は死んだ。我々が殺したんだ。」という言葉が浮かんできました。
肖像画としての新たな価値
17世紀ごろから、イギリスでは肖像画が貴族のブームとなります。牽引したのはルーベンスの弟子のヴァン・ダイクという画家で、肖像画という分野を先導していくことになります。同氏の肖像画はやや誇張した表現があり、写実的に描くだけでなく理想化して描くことも行っていたようです。これが威厳や品格を残したかった貴族には良かったのかもしれません。無粋な言い方をすれば営業力に優れていたのでしょう。肖像画を見た人が実在の人物との違いに驚いたというエピソードすらあるそうです。さて、同氏に限らずですが肖像画の中に天使などの空想が描かれはじめ、もはやメインが神ではなくなっています。丁度、この時期はイギリスで清教徒革命などが起こり人々の権利が検討され始めた時代です。肖像画という主張もまた、神との関係が見直された時代を反映しているのかもしれません。
人々の生活に焦点を
17世紀ごろまでは宗教画がもっとも品格の高いものであり、人々の生活を描いた絵画などは一段低いものとして認識されていました。しかし、有名なベラスケスはここに焦点を当てて、人々の生活を描きます。つまり主役が人間に移ったわけです。また、人々の旅路や田園の風景を描いた作品が増えていきます。これは遠近法の確立や光の表現などの技術の進歩の影響も強いのかもしれませんが、牧歌的で現実的な作品が増えていくことになります。
写実的な絵画へ
展示されていたジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの19世紀初頭の作品では神話の一部分を描いています。しかし、絵画自体は風景の描写と技法に力が注がれており、風景画と神話が融合されています。すでに、神話が表現のための材料に過ぎなくなっているように感じます。
19世紀は写実主義、バビルゾン派などを経て印象派の絵画へと移っていく時期です。展示もモネやルノワールなど馴染みの深い画家の作品が展示されています。ここに飾られているものは繊細な筆のタッチや緻密な表現力に魅了されるものばかりですが、神を連想するものや宗教を示す作品の展示はほとんどありません。つまり、主役が完全に人間の現実世界に移っています。
ゴッホのひまわりについて
同美術館が所有する作品で本展覧会の目玉となるのがフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」です(参考:ゴッホ展)。ひまわりは7作あるそうですが、そのうちの4作目が展示されています。このひまわりはアルルでゴーギャンとの生活を心待ちにしていたゴッホがゴーギャンの寝室に飾るために描いたそうです。ゴーギャンはこのひまわりを「もっともゴッホの本質を表わしている」と表現したそうですが、どういう意味でしょうか。3作目までのひまわりは背景が青や緑で明るい様子はなく、どこかもの寂しいように感じます。一方4作目のひまわりは背景が黄色で、ひまわりとは濃淡や色味の違いで境界を作っています。想像ですが、3作目までの暗い背景では外界への恐怖や絶望などの迫害的な意味がありましたが、背景が同系色になる4作目には環境と融合するという意味があるのではないかと感じます。これはゴーギャンとの融合かもしれませんが。つまりゴーギャンの言うゴッホの本質とはこの境界のなさなのかもと思った次第です。
その他の作品について
気になる作品は多く、美術史の大御所の作品があちらこちらに散見されているのも本展覧会の魅力だったと思います。レンプラント、フェルメール、モネ、ルノワールなどの作品は流石の存在感でした。特にフェルメールの作品は大変人気で多くの方が足を止めていましたね。個人的に気になった作品はジョン・コンスタブル(John Constable)の「レノルズ記念碑」です。木々の間にある記念碑を描いたものですが、秋頃なのでしょうか?葉が落ちた木々がなんとも寂しい様相を呈しています。作品全体からは切なさと悲壮感すら感じますが、その描写が非常に緻密で、枝の一本一本の質感が異なるほどに丁寧に書き込まれています。歴史的背景はよく分かりませんが、その緻密さ故に湧き上がってくる物悲しさは非常に強いものがあり、ついつい見入ってしまいました。