はじめに

 2022年4月より東京都美術館で開催されていた展示を観賞してきました。本コラムではスコットランドの風景が持つ魅力と、厳しい自然に生きることが絵画に与える影響を考えています。また、宗教画から肖像画へと時代が移る中で、風景画が担った役割についても考察をしてみました。

スコットランドについて

 スコットランドにはあまり馴染みがないと思う方は少なくないのではないでしょうか。スコットランドはグレートブリテン島の北部にある国で、年間を通して比較的涼しい気候が特徴のようです。最北に位置するハイランド地方は氷河に削られた険しい山や谷を有することが特徴であり、自然の厳しさが絵画にも反映されているように感じられる作品もいくつかありました。

スコットランド国立美術館について

 首都エディンバラに位置する同美術館は、1859年に開館されました。この時代の多くの美術館は国家や貴族のコレクションを基に設立されたのに対して、本館は個人の寄贈や寄付によって徐々にその規模を大きくしていったとのことです。特に莫大な寄付をした資産家のジェームス・カウアン・スミス氏のエピソードは印象的でした。彼は寄付の見返りとして、亡くなった犬の肖像画を永久展示することと、自身の他界後に残された犬の面倒を見ることを提示したそうです。寄付によってコレクションが充実したことによって、同館が現代に至る礎を作ることができたようです。

展示について

 本展覧会は年代も作品の方向も幅が広いものであったように思います。15世紀~19世紀を代表する画家の作品が時系列で並べられており、ラファエロ、ティツィアーノ、レンプラント、ルーベンス、シスレー、モネ、ルノワールなどの時代を代表する画家が紹介されていきます。これらの画家達の作品を見る機会は少なくありませんが、有名画家のややマイナーな作品とでも言えそうな作品群の展示がむしろ新鮮に感じました。

 なかでも、今回の目玉の一つであるベラスケスの「卵を料理する老婆」の作品は素晴らしく、固まっていく卵の質感やガラス瓶の透明感などが現実にそこにあるように描写されています。ですが一番驚くべき点は、この作品が19歳頃に描かれたものであるということです。若かりし頃からすでに天才の片鱗を見せていたということでしょうか。これは備忘録となりますが、このような酒場や厨房などの日常の風景を描いた作品をボデゴンと言うそうです。高尚な宗教画と並行して描かれるボデゴンに画家がどんな想いを込めているのかは実に興味深いです。

心理療法に類似した機能を担う日常絵画

 ボデゴンもそうですが、日常の生活の様子や風景を描いた作品が比較的多めであるようにも感じました。日常をゆっくりと観察して描く行為には、現代の我々が触れにくい体験が随分と含まれているように思います。描画のために細部まで観察し、並行して自身の気持ちの動きに目を向け、かつ作品に象徴的な意味を持たせたり教訓として表現することは、忙しい我々が持てなくなった時間ではないでしょうか。きっと、そこにはマインドフルネスや内観療法などと似た、心を見つめる機能があったはずです(参考:心を知るために必要な姿勢)。

 ただし、心を見つめる作業は温かさだけではありません。宗教という浮世と現実生活との間を行きつ戻りつする彼らは、作品を描きながら自身の感情の扱いに苦慮することがあったのではないでしょうか。現実に止まるために日常生活の描写に没頭することが必要であったのかもしれませんし、画家の処世術であったのかもしれないとも思うのです。すると、日常生活のモチーフは健康を保つための工夫であったのかもと考えることが出来そうです。

肖像画との折り合い

 人々が豊かになり、民間人も富を持つようになると肖像画の受注が増加していきます。これは成功した方が自身の威光を後世に残したいという想いからですが、必然的に画家は肖像画の受注を受けることが増えていきます。肖像画はひたすらに現実です。宗教画が最高峰と言われていた時代から現実と向かい合うことが求められる時代へと移ったことを意味します。ですが、肖像画の受注が爆発的に増加したであろう18世紀頃には、肖像画疲れを感じる画家もいたようです。上述の生活の生々しさが強くなるのでしょうか。

 ここで紹介したいのがトマス・ゲインズバラです。優れた肖像画家である彼は「遠景に村の見える風景」というタイトルでオランダの風景を描いています。これがまた素晴らしい。さらに、もう一人、ジョシュア・レノルズは「ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち」の作品に、ギリシャ神話の三美神のオマージュを詰め込み、彼の芸術家としての誇りと現実の融合のような作品を仕上げました。彼らには肖像画から距離を取る心の動きがあったと考えることができます。

 古来、画家は目に見えない宗教世界を人々に伝える伝道師の役割を担っていました。しかし、時代が進んで、従来とは異なる役割を求められることになったわけです。彼らの葛藤や不満を推し量ることは難しくはないでしょう。

自然の厳しさが伝わってくる作品達

 本展示は冒頭でスコットランドの風景やエディンバラ城のデッサンを観賞することになります。切り立った崖やただひたすらに広がる静かな風景を前にして、美しくも厳しい自然がスコットランドにあることを知ります。そして、北部地域を描いたウィリアム・ダイスの作品には自然の無慈悲さと飲み込まれる恐怖が描かれており、この地に住む人々の苦労に目を向けざるを得なくなるはずです。

 だからでしょうか。スコットランドを描いた作品のタッチはどこか独特です。描線がはっきりとしており太く、色彩のコントラストが強いのです。印象派が描くような輪郭が曖昧で淡い色調とはまるで反対です。展示されている作品はバルビゾン派が栄えていた19世紀中頃であることも影響しているのでしょうけど、重い作風とモチーフである風景が調和して、救いがなく抗い難い同地の自然が眼前に広がるのです。

コンスタブルとターナー

 最後に二人の画家を紹介して終わりにしようと思います。ジョン・コンスタブルとジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーです。同時代に活躍した彼らですが、コンスタブルは生涯イングランドから出ることなく、反対にターナーは各国を回ります。その結果二人の描く風景はまるで異なった印象を受ける作品となりました。

 コンスタブルの作品は上述のようなコントラストが強くて力強い作品で、精緻な描き込みが見る者を圧倒します。彼はバビルゾン派に大きな影響を与えることになったそうです。反対にターナーの絵は淡く、優しい光が広がる様をキャンバスに落とし込んでいます。後の印象派を連想する幻想的で温かい作品であり、同地の自然の厳しさを感じさせません。

 画家がどこで過ごしたかについての説明は絵画観賞をするとしつこいほどに取り上げられますが、過ごした環境が作品にどれ程の影響を与えるのかを学べる貴重な機会となったのがこの二人の作品の比較でした。心理学でいう双生児研究に近い関心を駆り立てられました。

おわりに

 今回は風景画を中心に据えて、画家が風景を描く心模様を考察してみました。信仰が薄くなり現実が押し寄せてきた時代にあって、人々の心の安らぎは自然の雄大さであったのではないでしょうか。しかし、自然は宗教とは異なり導いてはくれませんが、押し付けてもきません。風景画を描くことによって、無慈悲の中にある救いとでも言うべきものを知ることが出来るのかもしれません。

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