はじめに

 私達は人生のどこかで必ず大切な対象を無くす経験をします。それは親やパートナーであったり、あるいは地位や信念かもしれません。そのような自分の大切なものを失う経験は誰にでも起こりますし、時に自分が保てなくなるほどに打ちひしがれる体験となることもあります。このような喪失の体験をどのように乗り越えていくのかが今回のテーマとなります。

喪失の体験とは

 強い喪失の反応が現れるのはどのような体験でしょうか。多くの場合、予期出来ない突然の不幸に見舞われることによって生じることが多いように思います。例えば近親者が交通事故に巻き込まれて他界された体験や、自然災害によってこれまでの生活の基盤を失う体験などが挙げられます。また、仕事などで思い入れのある業務や役職を突然の異動や失職などによって奪われることで喪失の反応が現れる方もいらっしゃいます。現代の日本ではあまり身近ではありませんが、戦争や疫病の流行なども非常に多くの喪失体験を伴うものです。

喪失の体験に伴う反応

 喪失の体験をした際の心身の反応は様々です。心の反応では感情の不安定さや鈍麻、抑うつ気分の持続、強い孤独感などが挙げられます。身体の反応では、過眠・不眠などの睡眠障害や食欲の減退、慢性的な虚脱感や無気力感などを体験します。このような喪失の反応はグリーフ(grief)と呼ばれています。

生活への影響

 喪失の体験に伴って、これまでの生活様式が急激に変わる方も少なくありません。それに伴う経済的負担や人間関係の断絶なども決して無視ができない問題です。このことによって、生活を立て直す気持ちを失い、自虐的な生活を送る方もいらっしゃいますし、アルコールや薬物などの問題へとつながってしまう方もいらっしゃいます。

喪の仕事

 フロイト(S. Freud)は愛着のある対象を喪失し、新しい対象へと愛着を向ける過程を喪の仕事と表現しました。この過程は対象への愛と憎しみという相反する感情を整理して乗り越える過程であるとしています。やや大味な説明ですが、この指摘が後の研究者に引き継がれることとなります。
 喪失の体験をされた後に日常生活へと戻るまでの経過をより分かりやすく整理したのはボウルビィ(J. Bowlby)です。彼は以下の4つの段階に分けて、喪の仕事を説明しました。

①情緒的反応

 先程、ご紹介をした「喪失の体験に伴う反応」が顕著に現れる時期です。

②否認

 自信の身の上に起こった不幸を否定し、失った対象がまだ存在するように錯覚します。喪失の現実を受け止められない段階です。

③絶望

 上記の「生活への影響」に記載したように生活の希望を失い、無気力になったり、人との交流を避けるなどの様子が目立つ段階です。

④再出発

 事実を受け止めて、新しい環境や新しい人々と出会うようになります。立ち直ったと周囲に言われるのはこの段階です。

喪失体験をした時に心がけて欲しいこと

 大切なものを失った時は、我々は気持ちが内にこもります。これは自然な反応ですが、自分の気持ちをずっと胸に留めておくことは苦しい気持ちを長期化させてしまうことにもなり得ます。最初は難しいでしょうが、時期が来たらその思いをなるべく言葉にして誰かに語ることを意識してみて下さい(先程の③の段階では、このことがとても重要なことになります)。しかし、辛い出来事を自分で言葉にすることは身を切られる程に苦しい時間となり得ます。時には、当時の気持ちが戻ってしまい、一時的にさらに調子を崩すこともあります。しかし、この過程が喪の仕事の③から④へと変化していくために必要な時間となります。

回復を支える人へ

 苦しい体験をされた方の気持ちが前に向くのは容易なことではありません。また、反応の乏しさや感情の不安定さは、人間関係を維持する力が一時的に損なわれている状態となるのでコミュニティから孤立しがちになります。そのため、この期間を当事者に寄り添える他者の存在がとても大切です。しかし、支える側にも強い意思が必要となります。人間関係を拒絶し、維持することが難しくなっている方の話に耳を傾け続けることは言葉で表現するほどに容易いものではありません。もし支える立場になるのであれば、途中で関係を切ることだけは絶対にやめて頂きたいと思います。それは、支えとなっていた対象を失う2度目の喪失体験となるからです。

参考

・J. Bowlby(著), 黒田実郎(訳)(1981). 母子関係の理論-Ⅲ愛情喪失. 岩崎学術出版.
・中島義明(編)(1999). 心理学辞典, 有斐閣.
・山本 力(2020). グリーフケア・悲嘆カウンセリング. 臨床心理学 20-3, 331-335.