愛着とは

 愛着という言葉は少しずつ知られた言葉となってきました。特に子どものメンタルヘルスの分野で使われることが多いものです。愛着は英語のattachmentを訳したもので、適度に人を求める気持ち、その気持ちを土台にして他者と関係を維持する力を指します。

愛着障害とは

 愛着障害とは、人を求める気持ちを適切に発信できない、そのことで人間関係を持続できない、そもそも関係が作れないなどの様子が目立つ心の反応です。また、近年では脳神経の分野や身体への影響などの研究も盛んに行われています。愛着障害がキーワードに挙がる場面で一番多いのは被虐待児の心を描写する時です。子どもは生まれつき人を求める気持ちが備わっていますが、虐待の過程で安心して大人を頼れない環境に置かれることで、人を求める気持ちに蓋をしたり、反対に過剰に人を求めるようになります。虐待ではなくとも、何らかの事情で愛情が不足している場合も愛着の課題が現れることがあります。近年では稀でしょうが、昔の児童施設は子どもの数に対して職員の数が少なく、子どもたちは求めた時にケアがされない状況に置かれていました。このような環境では愛着を育むことが難しくなることもあります。

DSMによる診断基準

 さて、DSM-Ⅴを見ながら、医学の立場では愛着障害がどのように規定されているかを見ていきたいと思います。DSM-Ⅴでは「心的外傷およびストレス因関連障害群」に記述があります。このうち、いわゆる愛着障害に該当するものは2つです。以下に特徴を紹介します。

反応性アタッチメント障害/反応性愛着障害

 愛着障害と言われるとこちらをイメージされる方が多いでしょう。苦痛を感じている時にも他者を頼ろうとせず、ただただ苦痛が過ぎ去るのを待つ姿勢をとります。他者に対して、情緒的なやりとりを求めることをせず、また、他者からの働きかけには怯えや恐怖を感じます。楽しいとか嬉しいなどのポジティブな感情を感じることが少なく、一方で、恐怖、不安、苦しみなどの感情に気持ちが支配されていることが特徴です。

脱抑制型対人交流障害

 前者とは異なり、過度に他者に接近することが特徴です。見知らぬ人や場所にも恐れなく向かうことで危機管理能力の乏しさを周囲が心配します。初対面の方にも親しげに、あるいは馴れ馴れしく接することが特徴です。恐怖の体験を何度もした為に慣れてしまったのか、あるいは見知らぬ相手であっても愛情を求めてしまうのか、または、親しげにしているほうが被害が少なくなると考えているのか。いずれにせよ、彼らなりの処世術としての反応であることに留意が必要でしょう。

子どもの頃の様子

 愛着がしっかりと育まれていない方の子供時代は往々にして過酷な環境に置かれています。これはたとえ物質的には豊かでも人との接触が制限されているという意味です。虐待被害にあっている場合は勿論ですが、虐待とまでは言えなくてもマルトリートメント(不適切な養育環境)の下で養育されていることは少なくありません。

 このような環境下で過ごしていると安定した友人関係が築けず、学校などの集団でも浮いてしまいがちです。また、慢性的な苛立ちや寂しさ、落ち着かなさなどを呈しており、総じて学習に身が入りにくい状態にあると言えます。一方、大人であれ同級生であれ自分に優しくしてくれた相手に対して過度にスキンシップを取る様子も見られることがあります。このスキンシップが仲良くなるために機能するのであれば良いのですが、相手と分かり合うためには、彼らの抱える怒りも分かってもらいたい気持ちがあるため、人間関係の維持が困難になることも少なくありません。

成人後の影響

 成人の愛着障害では人との自由な交流が障害され、慢性的な苛立ちや落ち着かなさ、空虚感などに苦しみます。うつ病、パニック障害、対人不安などに悩まされる方も少なくはありません。人によっては、怒りの気持ちから、反社会的な行動に手を染める方もいらっしゃいます。また、強迫性障害などを呈する方もいらっしゃいます。これは叱責の恐怖や自分をより完璧で良いものとしなければいけないという思いがどこかにあるからでしょうか。

 これらの症状の根底には自信のなさ、自己肯定感の低さ、孤立感が潜んでいます。全て、人生を建設的かつ充実したものとするためには欠かせないものですし、言い換えれば将来の可能性を制限されてしまうことが成人後への影響と言えるでしょう。

内的作業モデル

 愛着障害を話題にする上で、欠かせない事柄の一つに「内的作業モデル」と言われるものがあります。これは、自分と他者との間で生じるやりとりについて持つイメージや確信を指す言葉で、自分がこのように関わったら他者はこのように反応してくれるだろうとか、自分がこのように感じている時は他者も同じ気持ちでいてくれるだろうなどの、やりとりの期待のようなものです。幼少期からの他者との関わりの中で形成されるため、その場面は親子関係や家庭環境が中心であると言われています。

 たとえば、困っている時に助けてもらえない経験が続けば「自分の苦しみは無意味で人は助けてくれない」というイメージが作られますし、「感情を表現すると叱られる」というイメージは辛い体験を話した時に相手にされないどころか「うるさい」と一蹴される経験を重ねた結果かもしれません。そして、身につけたイメージは他者への愛着の示し方に影響を与えていくのです。

 なお、考え方や確信という言葉を使うと認知的な要素を表す概念と思われるかもしれませんが、この言葉はもっと広い範囲を指しているようです。それは意識にのぼる以前の段階や言葉になる以前の段階である、情緒的反応や不随意的身体反応、無意識のファンタジーなども包含しています。

心理学者の視点から

ウィニコットの視点

 ウィニコット(D.W.Winnicott)は生まれたばかりの乳児と母親はお互いの境界が曖昧で一体である「ユニット」という考え方を提唱しました。子どもは成長する中でユニットから徐々に抜け出していきます。その過程で子どもは母親を他者として認識し始めるのです。ユニットの世界は子どもにとっては万能的な世界で望めばなんでも叶います。この体験が後年の自己効力感につながると予想されますが、万能的世界を十分に経験できなかったり、子どもの成長とは関係なくユニットを解消された場合、子どもは「望む」という姿勢を得にくくなるのです。それはつまり「助けを求めても叶わない」「自分はケアされず一人である」という内的作業モデルでしょう。もちろん多くの場合は後の人との関わりでこの姿勢が修正されることになりますが、修正する他者が現れなかった場合は、非常に苦しい気持ちが永く続くことは想像に難しくありません。

フロイトの視点

 フロイト(S. Freud)のナルシシズムという考え方を用いると、また別の説明もできそうです。外に関わりを求めても十分な反応がない状況は子どもにとっては恐怖です。外と関わるための力は削がれ、外は恐ろしいものであると知覚されるはずです。すると、外との関わりを極力避け、内にこもるようになります。二次的ナルシシズムと言われる状態です。外への働きかけがなくなることで、当然、他者への愛着欲求も表現されなくなります。

 もう一つ、エディプスが十分に体験できなかったことも挙げられるかもしれません。つまり、母親を別の対象とすることが出来なかったということです。この状況ではどこかで万能的な世界が続いているはずであり、愛着欲求に基づく自発的な行動を起こすことが必要とならないのかもしれません。この場合も外へと愛着を表現することが阻害される要因となるでしょう。

愛着障害のカウンセリング

 「愛着障害かな?」と悩み、カウンセリングを求める方は少なくありません。そして、その多くの方が、幼少期のエピソードに未だ苦しんでいるように思います。愛着障害のカウンセリングでは、内的作業モデルの修正がテーマとなるか、あるいはユニットから抜け出して自分を十分に感じられるようになることをテーマとするかでしょうか。特に後者の場合はカウンセラーとの密な時間を経て、その関係から自立するという成長過程を再演することになりますので、多くの時間とエネルギーが必要となるはずです。

おわりに

 愛着障害には人と関わることの不安や恐怖が根底にあります。虐待などの外傷体験があるのならば、不安や恐怖を感じるのは当然のことでしょうし、その関係性に未だ囚われているとも言えます。大切なことは、この関係性を見つめて区切りをつけ、自分の人生を生きれるようにすることでしょう。不安や恐怖に邪魔をされずに人と繋がりたいという気持ちを表現できるようにするということかもしれません。不安や恐怖に対して無力にならないで欲しいというのがカウンセラー含む支援者の願いでもあります。

参考

・発達 Vol.39―最新・アタッチメントからみる発達―