はじめに

 幸せになるという目標は我々の生活の至るところで話題に上がります。幸せは人それぞれと言いますが、端から見るととても成功しているのに一向に幸せを感じない人もいます。なぜでしょうか。

幸せになるとは

 一口に幸せになると言っても「良きパートナーと巡り合う」「年収1,000万円になる」など切り口は様々です。雑誌や広告などで幸せの謳い文句を目にすることは日常の光景です。しかし、このような表現は幸せの在り方をテンプレートのように扱い、非常に安易なものとして捉えていると思うのですが、いがでしょうか。

 「理由はよく分からないけど、今とても辛い」と言ってカウンセリングにいらっしゃる方が多いことを考えると幸せになるためには、客観的な結果以外のものが必要なのではと思うことがあります。

心理学の視点から

 それでは、心理学者の言葉を借りながら幸せについて考えていきたいと思います。しかし、心理学の歴史は幸せを考えるよりも、不幸を題材にする方が多かったようです。そのため不幸にまつわるテーマを眺めながら逆説的に幸せを考えていこうかと思います。

ありきたりの不幸

 S.フロイトはヒステリー患者が感じている「耐えがたい不幸」を「ありきたりの不幸」に変えることを主張しました。ヒステリーというのは、自分の本当の気持ちに触れることができずに、身体症状や関係のない行動で苦痛を味わう症状を指します。近代文学では大きな出来事があると失神して倒れてしまうという表現を見ることがありますが、このような様子もヒステリーに関連するものです。

 辛いはずなのになぜ辛いのかが分からないという状況を思い浮かべると、その方が抱えている不安や窮屈さが一層増大することが想像できるのではないでしょうか。これらが「耐えがたい不幸」です。フロイトは治療の中で患者が自分のことを語ることでヒステリー症状が治癒されていくことに気付きます。言い換えれば自分の話をすることで自分の身の上に起こっていることと自分の感情を知ることで、辛いけど何故かは分かるという心境になったのです。「ありきたりの不幸」になったわけです。

 「ありきたり」という言葉よりも「圧倒されずに見ることができる不幸」という表現の方が分かりやすいかもしれません。

知らないことに持ち堪える

 W. R. ビオンは我々が知らないことや見えてこない事柄に対して焦って答えを求めるのではなく、その知らない状況に耐えられることの大切さを述べています。自分が辛い体験から目を逸らさず、いつ晴れるとも分からない時間の中で過ごすことは絶望の最中にいることと同義かもしれません。しかし、この絶望を感じることが先程の「ありきたりな不幸」を感じられるようになるために必要なのです。

 今回の話題と関連させると、この指摘は自分が幸せでないと感じた時にも安易な解決に飛び付かずにその絶望に耐えながら考えることの大切さを示唆しています。「年収1,000万円になる」ことが達成されても幸せを得られないのであれば、それは物質的な豊さで絶望を早急に中和しようとしていたのかもしれません。

幸せの前に不幸を知ること

 幸せになる話のはずなのに不幸になる話となりました。しかし、幸せになるためには不幸を知っておくことも大切であるように思います。自分が不幸であることを感じられる人は、自分の気持ちに目を向けることを日々されている方でしょう。自分の今の気持ちを正確に知ることは幸せになった時にしっかりと気付けることでもあるはずです。

参考:辛さを感じるための心の準備

 それでは、次に幸せを実感できないことの一因となりうる心の在り方について触れておきたいと思います。

本当の自己と偽りの自己

 D. W. ウィニコット(1960)は本当の自己と偽りの自己という二つの在り方を提唱しました。大雑把な表現になりますが、本当の自己というのは自分の気持ちを自分のものとして感じることができ、感情を生きたものとして噛み締めることができる在り方です。対して偽りの自己は他人や環境に合わせて過ごす生き方であり、感情は流れて、何事も自分の手では掴めずにこぼれ落ちていく体験をすることになります。誰にでも両方の側面がありますが、偽りの自己が優勢であれば幸せを実感することが難しくなると考えられています。

参考:心を知るために必要な姿勢

幸せを実感できない理由とは

 本テーマのまとめになりますが、幸せになるために2つの視点をご紹介しました。一つは「よく分からない」という現象に耐え、自分の中にある気持ちに敏感になっておくこと。もう一つは偽りの自己で過ごすことがないようにするということです。文章にすると簡単な表現になってしまいますが、これはとても大変なことです。よく分からないということは、そもそも問題意識に浮上してこないからです。カウンセリングでは「よく分からない辛さ」を感じて来室される方が少なくありませんが、「辛い(不幸)」と感じられることが幸せへの一歩と言えるのかもしれません。

気になる風潮について

 昨今、心の健康への機運が高まっていますが、大きな誇張があると感じますので、最後に述べておきたいと思います。それはカウンセリングや特定のプログラムによって悩みや苦悩が消えてなくなるという考え方です。心へのアプローチが魔法であるように錯覚されているのですが、ここまで述べてきたように自分の感情を生々しく感じられる心の下地を作らないと幸せな日常を送ることは到底難しいように思います。

おわりに

 幸せになることは人生の目標の一つかもしれません。しかし、幸せになることが右へ倣えになっていないかを考える必要はあるでしょう。現代社会は情報が溢れており、自分に目を向けにくい時代と言えます。幸せになるためには自分自身の気持ちを偽りなく感じ、悲しむことも喜ぶことも等しく行えるようになることが必要ではないかと思うのです。

参考

  • D.W.Winnicott, 牛島定信(訳)(1977). 情緒発達の精神分析理論―自我の芽ばえと母なるもの (現代精神分析双書第II期). 岩崎学術出版社.
  • 松木邦裕(2009). 精神分析体験:ビオンの宇宙―対象関係論を学ぶ 立志編, 岩崎学術出版社.
  • S.Freud (著), 芝 伸太郎 (翻訳)(2008). フロイト全集〈2〉1895年―ヒステリー研究, 岩波書店.
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