はじめに

 PTSDという言葉よりもトラウマという言葉の方がピンとくる方が多いかもしれません。きっかけとなったのは阪神淡路大震災でしょうか。この言葉は非常に大きな精神的苦痛を伴う体験によって生じた心の傷を指しており、「大きなトラウマがある」とか「○○の体験がトラウマになっている」などの表現で使われています。そして、このトラウマをきっかけにした心の反応がPTSDです。

PTSD反応とはどのようなものか

 トラウマが原因となって、再体験、回避行動、過覚醒などの反応が日常生活に支障が出るほど強く現れてくると「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されます。PTSD反応自体は人間が持つ危機に対する防衛本能が働いている状態ですので、大事な生体機能とも言えるのですが、危機が去ってもいつまでも機能が解除されないことが当事者の大きな苦痛となります。

PTSDを癒すためには心からの安心が必要

 PTSD治療には認知療法、薬物療法などが有効とされていますが、最も大切なことは「もう安心だから」と心から感じられる環境を整え、危機が去ったことを知的理解だけでなく身体にも知らせることです。…と言葉にすると数行ですが、このことを達成するために当事者の方は筆舌に尽くし難い辛さを味わいながら治療に臨んでいます。

 また、PTSD反応が現れていなくともトラウマを抱えて苦しんでいる方は少なくありません。トラウマとどのように付き合っていくかは自分の人生と向き合う上で大きな課題です。

参考:トラウマへのカウンセリング

複雑性PTSDとは

 さて、本題ですが、2019年内に改訂された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類第11版(ICD-11)]では、複雑性PTSD(complex PTSD)という項目が新たに追加されています。

 命の危険を感じるような出来事に出会い、それに関連して生じる反応がいわゆるPTSD症状ですが、その出来事が一度きりであったか長い期間続いていたかで分類し、後者を複雑性PTSDと呼ぶことになります。例えば、交通事故に遭った経験は一度きりの出来事になりますが、児童虐待や長期間の暴力や拘束などでは繰り返し生命の危機を体験することになります。当然、後者の出来事ではより重く様々な心身の症状に苦しむことになります。

 さらに通常のPTSD症状の他に、①感情の抑制が困難になること②自分を否定的に捉える傾向が強くなること③対人関係をうまく築けないことの3つの様子が加えられることになります。確かに虐待など長期にわたって凄惨な体験をされた方にはこのような様子が見られます。その意味では複雑性PTSDの概念の導入には当事者の方の状態をより正確に記述しようとする意思が感じられます。

今回の改訂の意義

 この複雑性PTSDがICD-11に掲載されたことの影響を受けてか、トラウマ関係の書籍が目立つようになってきました。ただ、心の病やパーソナリティ障害などに苦しんでいらっしゃる方は、広い意味でどなたもトラウマを抱えていますし、臨床心理学の歴史を振り返ってみても傷つき体験(それが事実かどうかは別にして)を丁寧に扱う立場が必要であるという姿勢は維持されています。

 なので複雑性PTSDの概念が規定されたからと言ってカウンセリングで話題としていくテーマが大きく変わることはありませんが、明記されることにはとても大きな意味があるように思います。今まで見識のある精神科医や心理士が経験に基づき共有していた視点がより広く周知されることになり、適切な治療やカウンセリングを受けやすくなるからです。今回の修正がトラウマに苦しむ方の支援に繋がることを期待します。

参考

  • 精神療法 第45巻第3号―複雑性PTSDの臨床―
おすすめの記事