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はじめに
外傷体験が与える影響は臨床心理学では早期から研究が行われていたテーマです。決して少なくない患者やクライエントが何らかのトラウマを抱えて心理療法を求め、歴代のセラピストは様々な工夫を用いて解消を目指しました。その意味では心理療法によって扱われる悩みの根本には何らかのトラウマ体験があると言うことも出来るのかもしれません。
今回は災害被害などによって生じるトラウマ体験ではなく、より身近な人間関係の中で生じるトラウマに焦点を当てていきたいと思います。
フロイトによる心的外傷体験の指摘
フロイト(S. Freud)はヒステリー患者の治療に精力的に取り組んだ精神分析の始祖です。ここで言うヒステリーというのは怒りっぽい人ではなく、心の悩みが身体症状や独特な思考様式で現れる人を指しています。彼はこのヒステリー症状の背景に性的なものへの関心を抑圧することや、養育者から性的被害を受けたという空想が働いていると提唱しました。当時は性的な視点に偏り過ぎていて大批判を受けることになりました。しかし、自分でも預かり知らぬところで心が大きな影響を受けていると彼が指摘したことはその後の心理学の発展にとっては、大きな切り口となっています。
ここで大事なことは想いが症状として現れるということでしょう。事実かどうかはさておき、その人の捉え方によって心の症状が形成されるということは現代の臨床心理学の中でも受け継がれている考え方です。主観的真実などと言われたりします。
空想という考え方
フロイトの指摘以後、主に精神分析では空想という視点が大切に扱われるようになります。空想というと嘘という含みを感じる人がいるかもしれませんが、精神分析で言う空想にはその人なりの物語という意味があります。空想の考え方は主にクライン(M.Klein)によって引き継がれていきます。それは両親に対しての子どもなりの物語が症状や行動を形成していくという考え方です。この空想が楽しいものだと良いのですが、治療の対象となるお子さんは専ら辛い空想を抱えている訳です。それが心に染み付いて離れないのであれば、この空想は(事実かどうかは問わず)トラウマティックな体験です。心に染み付くというのがポイントで、本人も自分の身に起きていることを正確に把握できないけど染められているということがトラウマの出発点でしょう。そこには症状の苦しさの他に得体の知れないものに支配される違和感もあるはずです。
現実的な外傷体験
さて、ここまでは主観的な事情に基づいたものであっても、症状として現れることがあるという話をご紹介しました。しかし、現代社会に生きる我々は実際に被害に遭って心に傷を受けることを知っています。フロイトの指摘は場合によっては現実の被害を隠蔽する危険を含んでいます。このことを意図せずとも指摘したのがフェレンツィ(S. Ferenczi)です。彼は実際に子どもへの虐待はあり、大人が子どもを丸め込んでいるだけだと指摘しています(1933)。元々はフロイトの愛弟子であった彼の指摘はフロイトとの決別を意味しますが、トラウマを現実の出来事として関連づける大きな役割を担いました。
幼少期のトラウマ体験
以上のようにトラウマを巡る考え方は色々と迷走した経緯がありますが、実際の被害であっても主観的な思い込みであっても、傷つく体験には必ず他者の存在があります。そして、もっとも最初に出会う他者は母親であり、幼少期の世界は両親との人間関係で成立しています。そのため、最初のトラウマを作る他者というのは幼少期の両親に他なりません。この幼少期の両親との間で形成された人付き合いややりとりのパターンはその後の人間関係にも影響を与えるため、人間関係が上手くいかない、どうも孤独を感じるなどの悩みは、遡れば両親との関係についての振り返りを行う必要が出てきます。カウンセリングが進むと両親が忙しくて話を聞いてもらえなかったという日常や、他の兄弟のほうが手をかけてもらっていたなどの体験を思い出すことがあります。これらは仕方のないことですし、両親が責められるものではありません。しかし、人間の根っこの部分にはこのような日常の出来事もトラウマ体験として根付くことに留意しておくことは大切でしょう。また、精神分析の原理主義的な考え方ですと、両親が性的ペアであることを知ることがトラウマであるとも言っています。突飛な指摘ですが両親との関係の間で揺れ動くことがトラウマ体験として刻まれることを示唆しています。
誤解しないで頂きたいので繰り返しますが、両親が悪いのではなく普通に生活をしていれば必ずトラウマ体験が生じるということです。
対人場面の中で起こるトラウマ体験
成長して家族から心理的に離れられるようになると、家族外の人間と接することが出てきます。その関係の中でもいじめやハラスメント、どうしようもない人間関係の力動などの影響を受けて生涯忘れ得ぬ体験をすることはあります。ここには先ほどの両親とのやりとりをベースにした再体験や捉え方の傾向も反映されますが、全く新しいベースを作り上げることも当然あります。ただ、家族外で起こる体験の方が傷ついた記憶として残るので、大人になっても自覚のできるトラウマ体験になりやすいでしょうし、実際に傷ついたという客観的事実に基づくトラウマになることが多いのではないでしょうか。
極論すぎるとご指摘は受けるかもしれませんが、より見えにくく、心の奥に潜み、影響を与え続けるトラウマ体験というのは発達早期の方が形成されやすいのだろうと思います。言語能力が十分に獲得される以前の段階ですので、トラウマ体験が未整理のまま保存されているのかもしれません。
トラウマ体験を想起して悩みとの関連が見えてくることも
さて、普通に生活していて必然的に産まれた傷つきであれば、時間の流れの中で自然と落とし所が見つかり、日常生活の中で意識することはほとんどなくなるでしょう。しかし、意識をしていないだけで心のどこかに体験が残っており、カウンセリングの中でふと現れることがあります。意外とこのことが現在の悩みとなっている症状と関連していたりもするので、思い出すことでカウンセリングが一気に進むことがあります。これは人間関係の相談でも起こり得ますし、身体症状のご相談でも大きな気付きとなることがあります。強迫行為や視線恐怖などの悩みも自身の中で意識されていない体験と関連づけられることもあるのです。
自由連想という方法
ただ、トラウマ空想は自分でも分からない間に染み込んでいるわけですから、普段の会話の中で意識することは非常に難しいはずです。そこで必要になってくるのが自由連想という考え方です。精神分析の基本構造は「頭に浮かんだことを全て話して下さい」と伝えます。このことによって自分が普段は意識していないことがポロッと出てきます。そこを分析家がすくい取って無意識にある空想(=トラウマ体験)に気付けるようにしていくのです。
この自由連想の方法は今日でもカウンセリングのオーソドックスな方法です。しかし、向いている人と向いていない人がいますので、特に辛い体験を想い出そうとするのであれば、事前にカウンセラーさんとよく話し合った方が良いでしょう。
カウンセリングの場面では
トラウマによる症状の悩みでは、症状を軽減するためには必ずしもトラウマ体験に触れる必要もないように思います。例えば考え方を変える認知的アプローチやEMDRなどの方法によって、出現する症状を軽くする方法は幾つか開発されています。しかし、症状を扱ってもどこかスッキリしない想いが残ることもあり、これは、症状が除去されても自分の中にある想いが手付かずのままで、心の中に触れられない箇所として残ったままになっているからです。そこには何らかの傷ついた体験が潜んでいる可能性もあるでしょう。
日常生活の中で我々は他者と接することは避けて通れません。その中で傷つくことはありますし、必ずしも相手が悪いとは限らないはずです。しかし、それでも体験はトラウマとなって心に刻まれることがあります。自分の中での不可解さということをカウンセリングで考えてみるのであれば、この意識されないトラウマを知ろうとする姿勢も必要になると思われます。
参考
- S,フェレンツィ(1933). 森 茂起(監訳)(2007). 大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉ー精神分析への最後の貢献ーフェレンツィ後期著作集. 岩崎学術出版社.