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はじめに
ご相談にいらっしゃる方の中で、「上手く言葉にできない」「相手に分かってもらえない」などの悩みを抱えている方は珍しくないように思います。また、意識的な悩みに至っていない場合でも、背景には感情表現の苦手さや分かりにくい形で表現している方に出会うことがあります。今回は、このような悩みをどのように考えていけば良いかをご紹介します。
感情がないのではなく、感情に触れられなくなる
生まれつき無感情の人というのはまずいないのではないでしょうか。何らかの理由で自分の中に流れる情緒にアクセスすることが難しくなっているという表現のほうが適切でしょう。重度の精神病の方の中には情緒的反応が非常に乏しい方がいらっしゃいますが、このような方達でも情緒が動く素因がないのかと言われると違う気もします。何らかの理由によって自分の情緒に触れることが難しくなり、他者に対して感情を発信することが阻害されるという考え方の方が適切なのかと思われます。本記事もこの前提に立ってまとめてみました。
アレキシサイミアと心身症の関連
アレキシサイミアは日本語では失感情症などと訳されています。この言葉は感情を失っている状態を表現しているのではなく、自分の感情を知るための機能に何らかの不都合が生じたため、生きた情緒を感じられないという状態を現しています。
アレキシシサイミアの状態では気付けないだけで日常生活のストレスは当然溜まっていきます。そして、このことが身体症状である(頭痛やめまい内臓器官の不調など)を引き起こすことになります。そのため、心身症ととても関連の深い概念と言うことができます。
ちなみに、心身症の方は身体の不調を訴えているので、自分の身体感覚には意識を向けていると言えますが、経過によって徐々に身体感覚にも目を向けることが出来なくなっていくこともあるようです。この状態をアレキシソミア(失体感症)と言います。
情緒を掴むことが苦手な人の性格特徴
自分の情緒に気付くことが苦手な人は、几帳面、神経質、完璧主義などの性格傾向が強いようです。いずれもストレスを感じやすい性格と言えます。また、コミュニケーションが苦手だと仰る方も多く、周囲の人に相談することに負担や抵抗を感じる方も少なくありません。もしかしたら相談できない事情が積み重なっていき感情表現を抑えるようになったのかもしれませんが因果関係を明らかにすることは出来ません。ただ、自分の内面を言葉にして誰かに受け止めて貰ったという体験は悩みを解決するうえで必須の体験と言えるようにも思います。
対人面への影響
情緒的な反応が乏しい方と一緒に過ごすとどのように感じるのでしょうか。おそらく、多くの方が会話が続かず、緊張感を伴う人間関係にならざるを得ないのではと思います。また、自分の感情を言葉にしないことは相手に自分がどういう人間かを伝えにくくすることでもありますので、人との深い関係を作ることが難しくなることも予想されます。表面的な付き合いが多くなり、人と深い関係を作るハードルが高くなってしまうことは間違いないでしょう。誰か一人でも心を通わせる相手がいて下されば良いのですが、人によっては孤立した環境に置かれてしまうこともあるようです。
社会適応面への影響
仕事や学校生活などの社会適応については真面目な性格が功を制してか、問題なくこなしている方が多い印象です。中にはとても能力が高く周囲の人からも高く評価されている方がいらっしゃいます。接客業や営業職の方の中には仕事になると人が変わったようににこやかで愛想が良くなる方もいますが、これはご本人も仮面を被っていると自覚していることが多いようです。
このような頑張りや人並み外れた努力は尊敬されるべき点ですが、この在り方そのものが自分の情緒的反応を置き去りにした産物であることも否定できません。客観的に見ると申し分なく活躍しているのに自分の中での充実感や自尊心の向上へとつながらないなどの悩みが生じることもあるようです。
どのような悩みが生じるのか
さて、ここまででも少しご紹介をしてしまいましたが、自分の情緒に気付けない人は、相手に対して自分の感情を表現することが上手にできずに他者から理解される機会が損なわれるため、深く安定した人間関係の形成が難しくなります。このことは慢性的な緊張感や孤独感を生じる一因となり得ます。また、気付かないことによってストレスや身体症状が見逃されることになるので、突然生じる苦痛や不調に驚かれることもあるでしょう。ご本人には唐突に起きた不幸と体験されるのでしょうが、おそらく予兆はあったのだろうと思います。
そしてもう一つ、自分の存在が不確かであるという実存的な悩みが生じます。情緒を感じない世界はモノトーンで自分から離れた世界として体験されます。ここには生きていることの感覚が持てず、日々淡々と過ごす毎日が待っています。
参考:虚しさへのカウンセリング
なぜ感情表現が苦手となるのか
ストレスから起こる学習性無力
まず考えられるのが、現実的なストレスに対する反応です。貧困や暴力などの極限状態で自分の情緒に開けていることは非常に苦しいものです。そのため、感じる機能を閉ざして心を守ろうとします。過度な勉学や過労を求められる環境でも、自分の気持ちを持つことが苦痛となり、感じなくするという防衛が働くことがあります(参考:ブラック企業で働くこと)。これらの状況では自分が抗っても無駄であるという学習が行われて絶望して反応を閉ざす学習性無力の働きを考えることが必要です。
他者に興味をもってもらえないという信念
自分の話を聞いてほしい、気持ちを分かって欲しいという願いは人間であれば当然のものです。赤ちゃんが泣いて母親を呼ぶように、我々は助けを求めるために感情表現をするという機能が生得的に備わっています。しかし、助けを求めても無視されたり期待する反応を得られないと表現をすることはなくなります。
同様に嬉しい話でも悲しい話でも自分の話を聞いてもらえない体験を重ねれば、周囲は自分に興味はないという信念を作ることになります。この信念は興味を持たれない悲しみを再体験することを避けるために感情表現ができないという反応につながります。
欲望に対する防衛
次に自分の中の情緒の大きさや欲動に耐えきれずに、心を閉ざすということも考えられます。これはフロイトの言うヒステリーの文脈であり、自分の生々しい情緒や欲望は表面に表すべきではない忌むべきものであるとする考え方が背景にあります。社会的に相応しくない気持ちや文化的に許容されないために抑えようと考えるのかもしれません。また破壊衝動や変わった性癖などを持っていると、これらの情緒を表に出すことは憚られるため、自分の中に仕舞い込むことになるでしょう。
心理療法に進む前の準備として
感情表現が苦手な人、転じて自分の情緒に触れるのが難しい方では、まずはその触れられない現実を自覚することが大切です。これはカウンセラーから直接言われて初めて気付ということも少なくはないでしょう。そして、伴う現実的な不利益は何かを考えていくことが大切です。
感情表現の悩みを解消したいと思うのであれば、情緒に触れられない意味や表現方法の練習を考えていくことになります。上記で触れましたように、感情に気付けないことの背景にとても大きな心理的事情が影響していることもありますので、自分一人で悩みを解決することは随分と難しいのではと思います。
心理療法・カウンセリングで行うこと
情緒に触れることは多くの心理療法でテーマにしていることなので、多種多様な方法が用いられています。今回はその中の一例を紹介しようと思います。
自身の情緒を感じるためには、まずは下地を作ることが大切です。自分の内面に目を向ける習慣を身に付けるのです。精神分析的心理療法などの洞察的視点を持つアプローチが良いと思います。頭や胸の中に情緒が全く浮かんでこないというのであれば、身体に目を向けることから始めてみることも良い方法です。心に目を向けるよりも身体に目を向ける方が取り組みやすいはずです。慣れて来たら、身体の反応と情緒の動きがつながってくるはずです。
そして、自分の情緒を捕まえることができたら、カウンセラーへ感情を表現することを試みてみましょう。自分の気持ちをアウトプット出来るようになることが目標となります。ここまで来るとおそらく感情を表現することが随分と上手になっているはずです。