見出し一覧
はじめに
私たちの多くが日々何人もの人と接しているのではないでしょうか。多くの方が何らかの集団に所属していることと思いますが、集団は個人間のやりとりと比べてさらに複雑な人間関係を生じるものです。今回は集団で生じる気持ちの一つに焦点をあてようと考えています。
二人と三人では大違い
会話と言えば二人の人が向かい合っている構図を思い浮かべることが一般的ではないでしょうか。これを二者関係と言います。母子関係や恋人関係の関係性です。対して、登場人物が二人では済まない場合を三者関係と言います。家族、学校・職場、友人グループなどが該当します。二者では「I」「You」だけでしたが、三者では「He」や「She」が含まれることになります。
三者関係は日常的に生じるものですが、この関係性に非常に苦手意識を持つ方がいらっしゃいます。自分以外の二人の関係が気になることや、ときには「自分が悪く言われているのでは」という迫害的な気持ちを生じやすい構造だからです。
二人の関係で生じる期待
私とあなたの二者の関係とは、私が思っていることはあなたが思っていること、いつでも一緒にいるから全てが分かるという関係を期待しています。私も同じように知っていることが前提で、知らない事があれば共有したいと考える関係です。期待が適度であれば問題はないのですが、強くなりすぎると束縛や依存の関係、ストーカーなどの問題行動に発展することもあります。DVや共依存の関係にあるペアにはこの現象が強く見られることがあります。
三人の関係で生じる悩み
二者関係とは異なり、三者関係ではやりとりが見えないことが起こります。すると、色々な想像が巡り、付随して感情も活発に動くことになるはずです。そして、想像の中には不安を伴うものが含まれます。しかし、不安を感じても事実は確かめられません。このことが悩みの種となって、強くなれば疑心暗鬼や被害妄想による苦痛を感じることになります。ですから、三者関係では分からなさに持ち堪えることが必要となってきます。
三者の会話に伴う不快感
三者関係で生じる難しい会話の例には「○○さんからもう聞いている?」とか「○○があなたのことを××って言ってたよ」などがあります。元気な時ならともかく、気持ちが落ち込んでいる時は受け流すことの負担や疎外感を感じる言葉ではないでしょうか。
また、三人になると自分がいない場でも事が進むことが往々にしてあります。このことは余ってしまった一人に不快な感情を生じさせます。「何を大げさな…」と思われるかもしれませんが、小さい頃にはこのような気持ちが日常的に生じているものです(参考:子どもの発達~小学校中学年~)。大人では意識されなくなったり、気付いていても表すことが少なくなりますが、お腹の底では不安や疑惑に耐えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
大人の三者関係
集団に参加し活躍をすることを求められる大人では、人間関係に持ち堪えて柔軟に振る舞うことが期待されています。建前上はそうかもしれませんが、大人でも三者関係を前提としたトラブルが生じていることを疑う人はいないでしょう。
分かりやすい例では、仲睦まじいカップルの片方に別の異性の影が現れたときなどでしょう。二人の関係が脅かされるので事実を確認するはずです。結果、ただの職場の同僚だったようですが、職場で毎日のように顔を合わせる二人の会話が気になって仕方ありません。一人にされた方は二人の関係への疑いと、放って置かれる寂しさに持ち堪えることが求められます。友人関係でも同様です。三人のうちの二人の距離が急速に縮まれば、残された一人は穏やかな気持ちではいられないはずです。
大人は分別があるから集団で過ごせるわけではなく、持ち堪えられるようになっただけだと思います。持ち堪えることに困難があれば、生き辛さを感じることは増えるのではないでしょうか。
三者関係の獲得
心理学の視点では
では、三者関係はどのように獲得されるのでしょうか。この点についてはフロイトが早々に理論を打ち立てています。元々は母子で一体だったところに父親が現れて、母親との関係が脅かされるという現象で、彼はエディプス関係として自身の理論の中核に置きました。持ち堪えるための動機は、父母の間に入ることで罰を受けるという去勢不安です。三者関係では不安を我慢することが避けて通れないと解することができるように思います。
持ち堪える力の獲得
より現実に目を向けてみると、持ち堪える力は経験と失敗によって習得されていくようです。小学生は我慢ができずによく叱られていますが、社会的に問題なく過ごすために我慢をしないといけませんと学校で指導をする場面は一般的です。特に小学生は二者関係から三者関係の獲得に移行する過渡期ですので、上述の「三者の会話に伴う不快感」の項目に記載されていることが起こりやすいようです。
二者関係の安定が前提
三者関係とは二者関係が安定して持てることが土台となるのは間違いありません。父との関係、母との関係、父と母の関係、これらが穏やかに機能していることが必要です。どこかに不穏な人間関係が生じていれば、関係は安心できるものではなくなりますので、疑惑の心や自分が排除されるのではという迫害的な恐怖を感じる場面が増えるでしょう。
関係の穏やかさが欠けるために集団が緊張している例としてはいじめが挙げられます。いじめの構造は、時間の流れと共に人間関係が変化していきますが、背景には疑惑の心と安定への期待が大きく作用しています。
参考:いじめの影響
他人の会話はなぜ気になるのか
今回のタイトルでもある「他人の会話が気になる」という現象は、どうも持ち堪えることの負担が作用しているように思われます。家族や恋人など深い関係性だけでなく、表面的な付き合いであるはずの他人の動向が気になる方は、不安に持ち堪えることにしんどさを抱える方ではないでしょうか。
この不安にピンと来ない方は、子ども時代に通過した感覚であり、すでに縁遠い気持ちになっているのだと思います。そのため、悩みの当事者との間では共有しにくい感覚となり、当事者の他人の会話まで過度に気にする様子を理解不能で煩わしいものと思うかもしれません。また、当事者は関係にそぐわない程の心的距離を求めて周囲を困惑させると指摘される体験をします。
繰り返しになりますが、背景にあるものは、自分が一人にされるのではないかという不安や、2対1で攻撃されてしまうのではないかという恐怖です。
持ち堪えるために必要な信頼
他人のやりとりが気になる不安に持ち堪えるためには、人間関係は壊れずに続くものだという信頼を持てるようになることが必要です。大切な関係であっても、脆くて一度壊れたら修復が出来ないものである、という信念は人間関係への信頼を脅かすものです。壊れない人間関係に恵まれることは、他人がどんな会話をしていても、そうそう大事にならないという確信を得ることになるはずです。
なお、自分が関係に重きを置いていないと価値下げすることで持ち堪える方法もあります。このような姿勢を持つと、他人がどんな会話をしていても自分には関係のないものとして防衛できるでしょう。しかし、大切な関係が維持・発展しにくくなってしまうので、積極的にこの方法を採用するかは検討の余地がありそうです。
カウンセリングでは
他人の会話が気になる気持ちについて、イメージを持つお役に立てたでしょうか。この気持ちが過剰になると当人も周囲も苦しくなっていくことを併せて記しておきます。
三者関係での振る舞い方や、他人の会話や人間関係が気になって、日々思考を支配されている方は一度カウンセリングを利用しても良いのではと思います。カウンセリング関係がまさに人間関係の不安に持ち堪えることを基盤にしていますから、有意義な時間になると思います。