はじめに

 恋愛関係というのは古代から美しく純粋なものとして描かれてきました。しかし、甘美な側面だけではなく、ときに大きな外傷を我々に与えたり、恐ろしい憎悪とセットになることもまた恋愛の一側面でしょう。誰かへの思いが届かないと確信した時に夢のような時間は途端に失恋の苦しさとなって我々を襲ってきます。

 本コラムでは失恋から立ち直れない心境について検討しています。もちろん恋は無限の可能性があるため一般論を申し上げることしかできませんが、失恋の痛みが消えない時に心の置き所を見つけるきっかけとなれば幸いです。

失恋の痛みとは

 恋愛は視野を狭くするものだと言われます。交際しているか否かに関係なく、相手の存在に没頭するほど失恋による痛みもより強いものとなることは、ご賛同頂けるのではないでしょうか。

 痛みはときに耐え難い大きさとなり日常生活に支障をきたします。例えば失恋をきっかけとして、うつ病や適応障害などの診断を受ける方がいます。なかには自傷行為やひきこもり状態などを伴う方もいらっしゃいます。失恋の経験がその後の人生に大きな影響を与えることも決して珍しくはないでしょう。

 このような失恋の痛みの一つには、大切な相手をなくす喪失の痛みが考えられます。この痛みを乗り越えられない時に私たちは失恋から立ち直れなくなります。

空想と現実的事情が折り合っていくこと

 喪失の痛みと言っても失恋ならではの心の動きもあるようです。それが、恋愛がどこか理想的で自分にとっての都合の良い空想を伴うからだと思います。当初は相手に抱いていた空想は、少しずつ現実的な事柄と折り合っていくことが求められますが、この時に生じる難しさや寂しさに、失恋ならではの痛みの一端を見出すことが出来るかもしれません。

恋のはじまり

 相手に恋心を抱くタイミングやきっかけは人それぞれです。他人から聞いたら驚くような始まり方をした人もいらっしゃるでしょう。長い時間をかけて思いを抱き続ける方もいれば、気がついたら恋をしていたということもあるかもしれません。

 多くの場合、自分の中に湧き上がった気持ちに驚くことはあっても、不快感として感じられることは少ないと思います。それは、恋心が気持ちを前向きにし、幸せな時間を抱く素敵なものであるからです。自分の中に湧いてきた気持ちを汚らわしいとか、許されないものと感じる方もいらっしゃいますが、その場合はこれまで過ごしてきた時間と関連があることも少なくないようです。

愛しい気持ちが強くなるとき

 もう、相手のことしか考えられないという状態になっていれば、自身の恋心を自覚しないわけにはいきません。自分にとっての良い空想に浸るだけでなく、この恋は叶わないものかもしれないと不安な気持ちも抱くでしょう。そして、現実の相手の行動に一喜一憂することになります。この頃が一番楽しいかもしれません。

現実的な事情に目が向くようになる

 段々と楽しい空想よりも現実的な事情が頭を占めるようになります。当初の落ち着くことすらできない程のときめきから少し距離を置けるようになるのです。自身の変化をどのように体験するかは人それぞれだとは思いますが、徐々に冷静になり当初の興奮のような気持ちを感じにくくなることに寂しさを覚える方もいるかもしれません。

 片思いや推し活のような一方向の関係は、空想が終わる時が失恋なのかもしれません。交際をしている関係では、理想と現実との擦り合わせが上手くいかない時、関係を維持することが難しくなるはずです。

新しい関係を作るか空想のままでいるか

 空想と現実が折り合うと、関係はより深くて人間臭いものへと移行していきます。それは、ときめきではなく地に足を付けて一緒に生きていくステージなのかもしれません。一方、相手を理想的な対象として、空想のままにしておくことを選択することもあるようです。例えばアイドルやアニメのキャラクターに恋愛に近い感情を持つとき、これは相手の理想的な面のみに目を向けている状態といえます。アイドルの交際が報道されると空想を維持することが出来なくなり大きな揺れが訪れますが、これも一つの失恋と言えるのかもしれません。

恋愛関係の破綻

 恋人として交際している二人は、その関係を現実社会の中に位置付けようとしているのではないでしょうか。空想を抱き続けていては嫌な面も持つ相手と共に過ごすことは出来ません。若い時の恋愛が長続きしないことはここら辺に理由がありそうです。現実的な関係に進むためには、少なからずの空想を手放さないといけないようです。

 失恋や関係の破綻のきっかけには信頼を裏切る行為や、考え方のズレが増大したなどの理由が挙げられることがあります。それは自身が抱く空想と現実が折り合うことが難しかったといえることが、ままあるように思います。

失恋の痛みが癒えない個人的事情

 相手の非によって失恋する体験であれば、時間が気持ちを安定へと導いてくれるでしょう。しかし、検討してきたように自身の空想を手放すことの痛みが背景にあるとしたら、この失恋の痛みは長く続くかもしれません。なぜなら人間関係はお互いの責任の上に生じるものですが(参考:コミュニケーションの責任)、空想を手放すことの難しさは、関係性に起因するものではなく個人の事情が作用しているように思われるからです。どんな個人的事情があるのかを少し考えてみます。

自分の理想が強すぎる

 相手に対して理想を求めすぎているとしたら、これは恋に恋している状態だったのかもしれません。現実の相手と折り合うことが難しいことは決して悪いことではなく、憧れの対象を持つことは必要なことだと思います。しかし、自分の求めるものが相手に対して負担を掛けすぎていたとしたら修正が必要かもしれません。

親を相手に投影してしまう

 これは意識して避けられるようなものではありません。最初のカップルモデルが両親であることは疑いなく、両親の関係を一般化してしまうことは避けられないからです。理想的と感じていなくても、カップルとしての関係性や、やりとりの仕方、相手への気持ちの伝え方などに関する感じ方の礎となります。当然のものとして備わっていく価値観もまた空想と言えるでしょう。

 この場合、親とは違う自分自身の恋愛関係を持つことが必要かもしれません。この達成が難しいのであれば、自身の親子関係を振り返ってみると良いかもしれません。精神分析では、異性の親に自分が取って代わりたい願望として羨望が説明されています(R. Britton, 『信念と創造』)。我々はどこかで親との親密な関係を求めているようです。しかし、それが叶わない絶望を幼少期に体験しているはずなのです。

人間関係という視点を持ちづらい

 これはコミュニケーションの苦手さと関わることかもしれません。相手の気持ちを思いやり、考えていることを想像し、自分の考えを相手に伝える努力をするなどの視点が抜けていると、そこで生じていることは関係性ではなく、自分一人の世界が展開されていることに他なりません。

 アイドルに恋するなどの状況であっても、アイドルが人間らしさを見せた時に激しく怒りを感じるのであれば、やはり相手を一人の人間として見ることが出来ていないと感じてしまいます。

悲劇的な体験を伴う失恋

 個人的事情とは少し視点の異なる話となりますが、突然の別れや裏切りなどによる失恋によって心の傷が生じ、専門的な治療が必要になることもあります。(参考:喪失の反応と留意点)

失恋の痛みが事件になることもある

 さて、ここまで書いてきたように失恋の痛みを長く手放せなかったり、繰り返してしまうようであれば、自身の姿勢にも目を向ける必要がありそうです。個人的事情による傾向が大きくなることで、社会的な事件を起こすこともしばしばあるようです。代表的なものがストーカーでしょう。自分の想いが伝わらないことに激しい怒りを感じ、自分の空想と異なることを受け入れられずに現実を歪めようとすることが特徴です。これもある意味では失恋だと思うんのですが、加害者には自己愛的な性格傾向が指摘されることも珍しくありません(参考:ナルシスト性格の特徴)。

空想のままにしておく風潮が流行している?

 近頃、推し活という言葉が出てきました。これはある意味では、空想を空想のままにしておくことでもあるのかなと思います。自分は陰から支える立場に徹し、空想と現実の折り合いを付けることを目指していないからです。昔から素敵な先輩を遠くから眺めて満たされるという活動(?)はありますが、この趣向が社会的な動きとなっているのが推し活と言われるものではないのでしょうか。

 誰にも迷惑をかけない行動ですので咎められることはありませんが、空想と現実という二つの世界を完全に分離させて過ごすことが広まっていることにどんな時代的要因が影響しているのかは気になるところです。

おわりに

 恋をしているときは空想に浸ることが楽しみの一つなのかもしれません。そのように考えると失恋の痛みは、空想を手放して現実との折り合いを付けることによって生じるのでしょう。この痛みは当然のものだとは思いますが、一方で、いつまでも痛みが取れないことや、同じような失恋の痛みを繰り返すようであれば、自分を少し見直してみることが必要であるようにも思います。

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