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はじめに
配偶者や恋人などからの暴力被害が報道されることがあります。注目が集まり始めたのは20年程前でしょうか。当然のことですが、DVそのものは大昔からありましたが、近年、やっと重大な加害行為であると議論されるようになりました。
DVとは
DVは「配偶者や恋人など親密な関係にある相手から振るわれる、身体的、経済的、性的、心理的な暴力」という定義で良いかと思われます。内閣府の「男女共同参画局」が公開している統計データを参照すると、「配偶者暴力相談支援センター」に持ち込まれる相談件数は年々増加をしています。警察でも同様の結果があるようです。また、大きく取り上げられる事件の背景にDVの存在があることも少なくないように思います。2019年の千葉の虐待事件の背景には夫から妻へのDVがありました。児童虐待の背景に慢性的なDVがある可能性にも留意が必要でしょう。
参考:児童虐待を取り巻く状況
被害の閉鎖性
DVは当然ながら犯罪ですし、傷害罪や強制性交等罪などに問われるものです。また、日本では「DV防止法」に基づき被害者の保護を行うことが規定されています。しかし、DV被害は見えにくく、法的介入が後手に回りやすいという問題があります。この閉鎖性には被害を被害と訴えられない被害者側の事情や心境が背景にあり、DVの共通した構造と言うことができそうです。そもそもの始まりは加害者がこの構造を作り出し、支配する環境が出来上がることから深刻な被害につながるようにも思います。
状況の過小評価
多くの加害者が最初から暴力的でパートナーを威圧していたということは少ないでしょう。むしろ大変魅力的で優しく振舞っていた人も多いのではないでしょうか。もし出会った当初から恐怖を感じる相手であれば被害者は被害を自分の胸に留め置くことはしないでしょう。つまり、関係性が出来ていることが前提であり、これがDVの構造を作る基礎になります。
このような日常で始まる有形無形の暴力は人間の思考を混乱させます。好きな相手と苦痛な暴力が同じ対象にあるという状況は非常に葛藤的です。社会心理学の分野ではこれを認知的不協和と表現しますが、不協和は不快である為、安定した形に認知を修正しようとします。その際の選択肢は①関係を絶つか、②問題を過小評価するかです。①はすでに選択できないので、必然的に②を選ばざるを得なくなってしまいます。
慢性的な恐怖
当初は幾分抑えられていたかもしれない暴力は多くの場合エスカレートし、暴力性を増していきます。本来、他者から暴力を振るわれるというのは大きな恐怖ですが、徐々に進行する事で恐怖の感じ方を鈍くしていきます。
被害者側は恐怖によって疲弊しすぎてしまわないように心身が防御をする方法を身に付けていくことになりますが、その方法が感じないようにすることです。後述しますが、加害者側は支配したいという幼い願望を抱えていますから、被害者が感じなくなる(=反応が薄くなる)ことでDVが更にエスカレートしていく側面があることも否定できないでしょう。
もし、徐々に暴力がエスカレートするのではなく、突然の激しい傷害であれば、事前に被害者が逃げられないようにする監禁のような構造が物理的、心理的に作られているはずです。なんであれ、恐怖から逃れられないという状況では人間は諦め、せめて感情が死なないようにと守ることになります。しかし、感じないという心の在り方は行動をすることを妨害します。このことも暴力の中に閉じ込めれて身動きが取れなくなる一因です。
DV下にある時の心理状態
DV下では、多くの場合は自尊感情が破壊され、自分を価値のないものと感じています。これは加害者から継続的に洗脳されている部分もあるでしょうし、大切な人から暴力を振るわれる理由を自分の中で正当化する気持ちが働くことも一因です。
自尊感情が破壊された状態では、まず決断ができなくなります。自分の意思や常識と考えているものが信じられなくなるのです。その結果、決断を相手に委ねることになり、暴力を受けているはずの相手に依存してしまうのです。
この時期になれば流石に親族や友人が異変に気付き、パートナーと関係を絶つことを勧めてきます。しかし、多くの場合、被害者はそれが出来ません。極度に依存していることもそうですが、関係を絶つことで直面せざるを得ない激しい感情に対して、心の見えない場所が恐怖を感じているのかもしれません。
事後への影響
外部の方の支援などを受けて、パートナーと離れることに成功すると、被害者の心は被害者の元へ戻ります。しかし、DVによって受けた心の傷は容易には治りません。むしろ感じないようにしていた恐怖や理不尽な暴力に晒された怒りなどの感情を強く感じるようになり、余計に辛い時間を過ごすことになるかもしれません。
また、加害者と似た背格好の他者に恐怖を感じたり、ふとした拍子に当時のことを思い出すフラッシュバック体験をする方もいらっしゃるでしょう。傷つけられた自尊感情が回復するまでは、自分に自信が持てず前向きに物事を考える姿勢を持つ事が難しくなることもあります。
経済面の心配という現実的な課題に早急に対応する必要があるかもしれませんが、出来る限りゆっくりと安心した時間を過ごして心身が回復することを待つ必要があります。被害で受けた傷を回復するには、被害を受けた年月よりも時間を要するように思います。
加害者の特徴
DV加害者の多くは相手と対等な関係を結べない方と思って良いかと思います。関係を持つ手段が支配することになっており、相手と向かい合って言葉を交わすという事が出来ないのでしょう。相手と向き合う事は自分の弱い面を否が応でも見る事になるのですが、DV加害者はそのことに耐えられません。また、相手と向き合うことは自他の違いがより明瞭になるため「独りにされる」という側面があり、この事が耐え難い苦痛となる場合もあります。暴力の後に優しくなる男性などはそうでしょうか。
いずれにせよ性格が幼いと言われても仕方がないでしょう。DVに関わる訴訟を見ていても裁判官が「幼稚なパーソナリティ」と苦言を呈していることがあります。DVの加害者は、相手の気持ちを尊重せず物のように認識し、自分に従順にしていれば満足という幼稚で自己愛的な側面が際立っているように思います。
参考:ナルシスト性格の特徴
ただ、上記の例では表現の幼さや歪みがあるにしても、本人なりの愛し方をしているとも言えます。一方、愛を全く持ち合わせない加害者もいるようです。今回の例では当初優しいパートナーを想定しましたが、そもそもが搾取を目的として近づいてくる方もいます。この場合「幼稚なパーソナリティ」が焦点ではなく「病的な共感性のなさ」を指摘したいですね。当然、このような方が更生することは難しいでしょう。
DV被害の相談場所
多くの自治体が配偶者の暴力に関する相談の窓口を用意しています。また、配偶者と離れた場合に経済的な問題が生じることもあるかと思いますので、公的援助を受けられるかどうかも含めて、お住いの自治体に問い合わせてみるのが一番良いかと思われます。あまりにも暴力が酷ければ警察の方が良いでしょうし、子どもにも手を挙げているようであれば児童相談所の利用も検討してください。
男女共同参画局のホームページには様々な相談機関が掲載されています。ご覧ください。
カウンセリングで行える事
カウンセリングの出番は、あなたが「アレ?おかしいな」と感じられるようになってからが多いです。そのように思い来室されるということは、近しい人から既に自身の置かれている状況の異質さについての指摘を受けている段階なのでしょう。
DVの渦中にいる間は冷静な判断が出来ませんので、カウンセリングにお越し頂いた被害者の方が「大丈夫だけど人に言われて…」とお話されることがあります。この時点でカウンセリングを受ける場合、今、自分が置かれている状況が客観的に見てどうなのかということを考える場として利用して頂くことができます。しかし、被害が甚大で待った無しの状況ということもありえます。その場合は、まずは、身の安全が優先となりますので、上記の公的機関に保護を訴えた方が良いでしょう。カウンセラーからそのことを勧める場合も当然起こり得ます。
また、DVの被害は安全が確保された後にも続きます。激しい感情の波や無気力感、喪失感などです。この気持ちをしっかりと言葉に表していくことが大切です。カウンセリングの中で自尊感情の回復を目指し、安心した気持ちを再び得ることは必要になっていきます。DVの悩みからカウンセリングを開始した方の中には、渦中から事後まで長きに渡って利用される方もいらっしゃいます。
おわりに
DVと言うと成人した男女の話と思われがちですが、近年では高校生頃からデートDVという名前でDV被害が見られます。DV被害に遭われた方で「相手を信じたい」「いつか暴力が止むのを信じている」と仰る方は少なくありません。これはとても尊い気持ちですが、当事者間ではどうしても難しいことです。もし更生を信じるのであれば、外部の人に入ってもらう事が必要ですし、そこに被害者のあなたが抵抗を感じるようであれば、上記DVの構造に取り込まれていないかを考えてみることをお勧めします。
参考
- 番 敦子(2005). Q&A DVってなに?-この1冊でドメスティック・バイオレンスまるわかり-. 明石書店.
- 内閣府男女共同参画局 (外部リンク)