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はじめに
今回は小学校高学年ということで5,6年生あたりを想定して書いています。この頃になると、先生よりも身体が大きい子も出てきますし、低学年と並んでいる様子を見ると明らかに雰囲気が違います。小学校に勤めていると、「1年生であんなに小さかった子が…」と感じることも少なくなく、この数年の成長は本当に早いものだなと感じることも少なくありません。
友人関係
小学校高学年になると、中学年以上に友人関係が濃厚になっていきます。中学年で獲得した関係性に没頭する力が、おおいに活用されている印象です。親友と呼べる関係が出来てくるのもこの年頃ではないでしょうか。一方、大人から見ると中学年に比べて関係性が閉鎖的になるようにも感じられます。今までであれば、あまり遊んだことのないクラスメートや遊び方であっても、時間があれば参加してみようという気持ちが湧いていました。しかし、チャレンジすることに慎重になり「いいよ、僕は…」がより頑なになるのはこの頃です。失敗したくないという気持ちを感じ始める年齢ですし、先の展開がある程度見通せるまでに成長したという側面を指摘することもできます。自分の好き嫌い、得意不得意が見えてくるようになったと考えれば良いことではありますけど。
社会性の獲得
とすると、高学年では新しい世界が広がっていかないことになりますが、多くの人が経験則からそれは違うと断言するでしょう。チャレンジすることにやや慎重になるのに世界が広がっていくのは何故か。それは「社会性が獲得されているから」と表現して良いかと思います。「社会性がある」ということは、相手が自分に何を望んでいるかを認識し、その求めにある程度応じることが出来るようになる様子を指します。つまり、そこまで関係が深くない相手であっても、その場の必要性に応じて後腐れないように目的的にやりとりをすることが出来るようになるわけです。社会心理学では「社会的自己」という言葉で説明がされますが、他者視点を取り入れて問題が起きないように調整する力がこの年齢で大きく育ちます。教室を見ても中学年頃の方がおおっぴらに先生に反抗しますが、高学年では不満があっても授業中に騒ぐことはなく、距離をとるという方法で反抗を示すことが増えてくるように思います。これも授業中に求められている自らの姿勢を認識できているからこそ、社会性と反抗心との間でバランスを取ることが可能になっていると考えられそうです。
そして、高学年ではこの社会性の力を発揮することで視野を広げていくことになります。やりたくないこと興味のないことについても取り組むことができるようになるということです。この様子は委員会や係の仕事などで変化を見ることが出来るでしょう。自分の意思だけでは飛び込まない環境、そこで生まれる予期せぬ刺激、これが高学年の視野を広げています。言い方を変えると、自分から広げることが少なくなっていく年齢なので、役割や目的を与えていくことが必要だということです。欲を言えば、そこで生じた予期せぬ出来事や結果として感じたことについてを話題にしていくことで、本人の成長にとってよりプラスの効果を生み出します。
学習について
学習面では、子ども同士の間で大きな差が生まれます。そして、この差はその後の進路選択に大きく影響を与えるものとなるでしょう。特に5年生になると、中学受験をするために学習塾に通い始める子が出てくるため、クラス内では学力の差がどうしても生じてしまいます。受験をするかしないかに関わらず最低限の知識は当然習得しておくことが望ましいですが、子どもの得意不得意によってある程度の妥協点を作ることも大切になります。学習が難しくなっていくこの年齢では、積み重ねれば理解ができるというこれまでのルールが通用しなくなっていきます。低学年頃には達成感の獲得につながった学習が、上手くできない悔しい作業につながってしまうことも起こり得るのです。また、この年代から強迫的な気持ちや行動が現れることもあります。学習面の影響を考慮するのであれば、やれるはずだという思いとできない現実の葛藤の板挟みによって生じる可能性も否定できません。子どもの理想と現実のズレが過度な負担となっていないかを、大人が気に掛けておくことは必要でしょう。
心理学者の視点から
J.ピアジェ
J.ピアジェは11,2歳の子どもの発達を「形式的操作期」と名付けました。この年齢の特徴は抽象的な事柄を扱えるようになることです。また、仮説や命題を立てて思考をすることが可能になります。これは「もし~なら…」という文脈で物事を考える力ですが、一方で予期不安の源泉にもなる思考様式でもあります。思案出来るようになることは成長ですが、その考えが極端なものにならないように注意が必要でしょう。
E.H.エリクソン
エリクソンの発達段階では「学童期」にあたります。この時期の特徴は「勤勉性」であり、そこに生じるものは「劣等感による傷つき」です。特に「劣等感による傷つき」は上述のように、低学年よりも高学年の方が差し迫ったものとして起こることがあります。己の限界を知ることの苦痛はこの年齢で乗り越えるべき課題なのでしょう。
また、成長が早い子では既に思春期に入っており、自分とは何かという「同一性」について思いを巡らし始める子もいます。これは、エリクソンの区分では次の発達段階に進んでいるということになります。自分の限界に気付くことが、自分とは何かを考える次の段階に進むために必要なのかもしれません。
S.フロイト
フロイトの発達区分によると、この時期は「性器期」の開始時期に該当します。第二次性徴が始まり学校教育の中でも性差に関する知識を学ぶことになります。性的な興味は自分の意思とは無関係に起こるものであり、自分の中にコントロールできない部分が存在するという恐怖の対象になることがあります。これを不快に感じて性を極端に避けようとする子もいます。学習と同じように万能的感覚から抜け、自分の思うようにいかない部分があることに気付くのです。性への興味は愛への入り口でもありますが、性と愛の間でバランスを取るためには、まだまだ時間が必要です。
高学年で気を付けること
この時期に大事なことは極端に閉じないようにすることかと思います。大人に対して心の内を見せない年代であるため、大人が関わって成長を促すというよりも、成長のための環境を用意することが大切です。そのためには、学校活動への参加を促すことや、大人の意向とは異なることでも本人の意欲を尊重し、活動する環境を制限しすぎないようにすることが大切です。
また、失敗や挫折を感じやすく非常に脆い年代でもあります。不登校や引きこもりなどが増え始めるのもこの年齢ですし、抑うつ的な気持ちを明確に訴え始めるのもこの年代です。発達障害の二次障害などと表現される様子も、概ね小学校高学年から始まるように思います。この年代で既に成人後まで続く精神症状や対人関係のパターン、思考様式などの基礎は確立されています。つまり、本人の性格や考え方を大きく変えようという関わりは難しく、本人の獲得した枠の中でいかに健康に適応的に振る舞えるようにするかが関わりのポイントとなっていくはずです。
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