見出し一覧
はじめに
新型コロナウィルス流行に伴う感染予防の徹底は、我々に在宅勤務やオンラインでの対人交流という新しい選択肢を示しました。その恩恵は個人の持つ自由時間の増加という副産物を産んだようにも思います。
この大きな変化は立ち止まってゆっくりと考える時間を得ることにもなりましたが、立ち止まることや手持ち無沙汰が苦手な方にとっては苦痛を伴う時間となっているようです。このように感じる方々の中には単に動いていたい性格だけでは済まない事情があることもあります。今回は常に動き回っている「過活動の人」が抱えている止まることに伴う不安を考えていきます。
過活動な人はどんな人か
さて、あなたの周りでも常に動いて新しいことにチャレンジし、仕事でも人並み以上のパフォーマンスを発揮している方がいらっしゃらないでしょうか?その仕事ぶりやエネルギッシュな様子は頼もしく見えるかしれませんし、魅力的にも映るかもしれません。そして、ご本人もそのような周りからの評価に満更でもない気持ちを持っているようです。
しかし、その方の生活を見てみると、非常にタイトなスケジュールで身体への負担は大丈夫だろうかと心配になる事もあります。単に意欲的というだけでは済まない自己破壊的な面を含むのであれば、それは活動的な人ではなく過活動な人です。
過活動の悩み
このような過活動さをご本人はどのように感じているのでしょうか。ここで一つ考えられる傾向が強迫性です。常に生産をしていないといけないという強い思いが背景にある可能性を考えることができます。あるいは常に何か意味のあるものを作り出さないと自分の価値を認められないという心の動きもあるかもしれません。
以上のことが分かると過活動の方が抱えている辛さや悩みというものが見えてきます。それは、自分が価値あるものであるということを確認するための手段として過活動が選択されており、この在り方の根本には実存的な不安が横たわっているということです。
参考:強迫性について
自己愛の充足
少し視点を変えてなぜ過活動によって上記の不安が解消されるのかを考えてみようと思います。一つは過活動による生産性が自他に評価されることで、自己愛的な欲求が満たされることが挙げられます。自分が有能であることを過活動によって証明し周囲に認めてもらうことで安心ができるということです。
これは、子どもが保護者に賞賛を求める気持ちと同様のものです。この気持ち自体は人間として当然のものですので、なんら問題はありません。しかし、やや自傷的な様相を示していることが心配ではありますね。
身体への置き換え
ストレスや不安など負荷が掛かると人間は心を見つめることが負担になります。負担との付き合い方は人それぞれですが、その中の一つに「置き換え」という方法があります。これは気持ちに負担が掛からないように、感じないようにして、自分の心を守るというやり方です。
そして、この置き換えを用いて心が感じるストレスや負担を身体の動きで解消しようとする方がいます。身体を動かすことは万能的な感覚を伴い、生じた結果は自信に繋がります。このやり方は若いうちは有効ですが、身体機能が衰えていくと満足のいく方法として用いることが難しくなります。
人間関係への影響
過活動な人というのは常にタイトなスケジュールで動いたり、効率や結果を追求します。このことは社会人としては望ましい態度でしょうし、同様の考え方やパフォーマンスを持っている相手との間では絆を深める方向に機能するでしょう。
しかし、この考え方や活動量に付いていくことが難しい方からは、過活動の人の在り方は息が詰まるような気持ちを持たれることがありますし、時に恐怖感を与えてしまうこともあるようです。ご本人が意図していないのに同僚からパワハラと言われてしまうような事例を見ると、背景にこのようなズレが生じていることも散見されます。当人からすれば結果を出すことが自分の存在を認めることであり、心の負担を処理する方法になっているので、双方の意見を一致させるのは中々に難しい交渉になるようです。
現代社会での新たな悩み
冒頭に戻りますが、時代は在宅勤務や人との接触を避けることを推奨するようになりました。その結果、止まって考えることや腰を据えて留まることが求められるようになったわけです。特に影響を受けるのは、今までフットワークの軽さや勢いで乗り切ってきた人であり、この中には過活動の人が多くいます。仕事の姿勢が変わることで心の平穏を保つための方法を失ってしまった方がいることに留意することは大切でしょう。当人にとっては時代の変化で生じた新たな悩みとなったはずです。
過活動な人へのカウンセリング
大前提として、過活動の時にはカウンセリングに来ることはありません。なぜなら過活動であることが気持ちを満たす行為で、ストレスの処理ができているからです。カウンセリングを求めるのは過活動によって得られていたメリットを失った時、つまりは意気消沈して抑うつ気分を感じている時です。そのきっかけは概して大失敗をしてしまったり、活動を制限されたためです。そのため、最初は気持ちも落ち込みなどがテーマとなりやすく、過活動をカウンセリングの話題として扱うのは、ある程度の面接を重ねてからとなります。
過活動の方は自身の行動に含まれた意味をまずは知ることから始めていきます。そして、自分が価値ある存在であるという感覚を身に付けることや、身体に置き換えて誤魔化していた不安がなんであったのかを検討していくことが必要となります。注意が必要なのは、背景にある不安は時に自分の存在そのものを揺るがすほどの破綻を含んでいる可能性があることです。そのため、不安へ触れることにはカウンセラーと一緒にゆっくりと行っていくことが必要となります。
しかし、カウンセリングのゆっくり進むテンポが苦手な方が多いのも特徴です。来室を続けることは思考するために活動のペースを落とす意識が必要にもなりますので、それなりに苦痛です。ですが、ペースを落として自分の心身の感覚に敏感になると、多くを話題にせずとも自身の過活動傾向に気付く方もいらっしゃいます。そのような視点で考えると継続した来室自体が心理療法として機能することもあります。
おわりに
日本は高度経済成長期を経験し、過活動で疲れを知らないことが美徳という文化が根付いています。しかし、仕事一筋で家庭を省みない父という在り方は現代社会では受け入れられなくなってきました。不安を歪めずにじっくりと眺められることがこれからの時代ではますます必要になっていくのではと感じます。