自分の話をすることの抵抗

 今更ですが、カウンセリングでは自分の相談事を話題とします。それは自分の症状であったり、自分の悩みであったり、あるいは自分の家族の話であったりと人それぞれですが、いずれにせよ自分に関わる事柄を話すことになります。しかし、いざ話をしようと思うと言葉にすることに躊躇し抵抗を感じることも少なくありません。今回はこの話をする抵抗をテーマに考えていきたいと思います。

インテーク面接の抵抗

 最初のカウンセリングでは、まずは来室に至るまでの経緯を伺うことが中心となります。これをインテーク面接と言います(参考:インテーク面接)。お越し頂く前には、自分の悩みを話そうと思っているけどちゃんと話せるだろうか、「そんなことで悩んでいるの?」などと言われないだろうか、そもそもカウンセリングを利用するほどの悩みなのだろうかなど様々な心配が渦巻いていることと思います。このような気持ちはインテーク面接の最初に話にくさとして現れますが、多くの場合は話しているうちに解消されます。もし、50分間話をしても言葉にすることへの抵抗が強いようであれば、それは相談したいことに先立って話題にした方がよいことなので、カウンセラーに伝えられるように努めてみてください。

初対面での抵抗

 インテーク面接はもちろんですが、カウンセリングの途中で担当カウンセラーが変わることも起こり得ます。「はじめまして」の場面ですが、誰しもが初対面の相手に自分の心の内を話すことの緊張やどこまで話をして良いかという戸惑いを感じることと思います。これは自然な感情ではありますが、この抵抗があまりに強いとカウンセリングの実施が難しくなることもあります。先程と同じように早めにカウンセラーに伝えられるとよいでしょう。

自身の相談事と関連した抵抗

 休職したばかりで自分の身の上を話す準備が整っていないなどの事情がある場合もあります。このような時はこれまでのことや自身の気持ちを話題にするのは時期尚早です。多くの場合はカウンセラーの方で気付き、適切なタイミングを改めて伝えてくれるはずです。また、例えば男性恐怖があるのに男性カウンセラーが担当となった場合なども話すことの抵抗は生じるでしょう。話すことが難しいだろうと予想される事情があれば申し込みの段階で伝えて、配慮があるかを事前に確認をしておいた方が良いと思います。

話が深まってきてからの抵抗

 さて、ここまではカウンセリングのスタートにおける抵抗を扱いました。ここからはカウンセリングがある程度進んでから生じる抵抗を扱いたいと思います。

無意識の仕業

 カウンセリングとはどのような心理療法を用いるにしても最終的には今見えていない感情や気付きを未来に見えるようにすることが目的になると思います。そのためには、自分の心の中にあるけど意識していない気持ちや、自分でも知らない可能性を探ることが必要になってくるはずです。ここではまとめて無意識と表現させて頂きますが、この無意識が話をすることの抵抗に大きく関わっている場合があります。

 無意識の中には自分でも見たくない暗い気持ちや悲痛な嘆きなどが含まれています。カウンセリングの中で無意識に近づくという事は心の中で蓋をしてしまっておいた部分をテーブルの上で眺めることです。蓋をしているのは見るに耐えないものが入っているわけですから、心はそれを阻止しようとします。これが話すことの抵抗として現れます。

明らかにすることへの罪悪感

 しかし、それほどまでの抵抗が生じる程に閉ざされた心の部分が出来上がるのはなぜなのでしょうか。心理学ではこのことが昔から議論されてきました。やはりフロイト(S. Freud)の言葉を参照することになりますが、彼はこの閉ざされた心の部分が生じることに、倫理観や養育者の権威による影響を想定しました。つまり、無意識に近づくという事は倫理や養育者に対する背徳的な性格を含んでおり、無意識を明らかにする事はどこか罪の意識を感じさせる作業となるのです。そのため、心は無意識という開けない箱を作り、普段は考えなくて済むようにしているのです。

カウンセラーに気付いて欲しいという思い

 カウンセラーとの関係がある程度深まると、カウンセラーに気付いて欲しい、分かって欲しいという気持ちが強くなっていきます。「私があえて言葉にしなくても分かってよ」、「言葉にしないけど何とかしてよ」などの気持ちでしょうか。背景にあるものは相手が自分の全てを理解してくれる、自分の全てを委ねたいという気持ちです。これはある種の甘えではありますが、人間関係が出来上がってくれば自然と湧いてくる感情です。時間経過とともに、「いや、そんな万能的な他者はいない」という気付き、自分で言葉にすることを再開します。

 しかし、稀にこの万能的存在になれないカウンセラーに強い怒りを感じる方もいらっしゃいます。この場合は、カウンセラーに養育者を投影しており、甘えさせてくれない養育者とカウンセラーが重なって、過去の怒りが再燃していることがあります。このような時も話すことへの抵抗が生じますし、乗り切るためには万能的な存在はいないことを受け入れる必要があります。しかし、この受け入れは大きな心の揺れを伴いますので、焦らずじっくりと進めていく必要があります。

話が外部に伝わらないかという懸念

 とてもデリケートな話をしますので、カウンセリングの内容が外部の人間に伝わらないか、家族に言われてしまうのではないかという気持ちが湧いてきてしまい、自分の気持ちを正直に打ち明けられないこともあります。特に同じ相談機関を関係者や家族と一緒に利用していると、余計にそのように思うでしょう。この抵抗はもっともですし、カウンセラーに早々に伝えておくべきことです。「他の人に言いません」と言われても最初は信じることが難しいかもしれませんが、カウンセラーとの関係が信頼できるものとなると話してもよいかなという気持ちになることもあります。何年も経ってから本当に大切なことをお話しくださる方もいらっしゃいます。

守秘義務の話

 少し、一般的な話ですが、カウンセラーはカウンセリングの中で起きたことを家族と言えども勝手に伝えることはありません。この意識に欠ければ資格剥奪もあり得ますので、カウンセラーの守秘義務は皆様が思っていらっしゃる以上に厳守されています。しかし、例外となる場面もあります。一つは自分を傷つけたり他人を傷害してしまう事実や可能性がある場合です。何か危険なことが生じる可能性が高ければ守秘義務の範囲を超えて第三者の介入を求めることはあります。

 また、日本国内でカウンセリングを行う以上、日本の公権力には従う必要があります。何らかの事件などに巻き込まれ警察などから事情聴取やカウンセリングの記録を開示して欲しいと言われれば、これは従うしかありません。

 最後に主治医から治療のために情報提供をして欲しいと言われれば、これも多くの場合は応じることとなります。以上のように守秘義務を超えて相談の内容が伝わる場合はありますので、心配であれば確認をしておいた方がよいと思います。

言葉にすることで生じる失望

 さて、カウンセリングは先程も申し上げたとおり、今見えていない感情や気付きを未来には見えるようにします。そのための手段として我々は言葉を用いてカウンセリングを行なっています。もし、「言葉にすることの抵抗」が「言葉で表現できない」という事であれば、それは言語以前の水準を漂っていることでもありますので、これを眺め浸り言葉をあてがうことから始まります。しかし、感覚や想いを言葉に置き換えた時点で削ぎ落とされてしまう部分があることもまた事実です。感覚や概念そのものをコミュニケーション手段として使う事が人間はとても苦手ですので、ここに他者と分かり合うことの限界と失望が生まれます。この失望との折り合いを付ける事もまたカウンセリングの目的となります。このように考えるとカウンセリングで話すことの抵抗は、自分の気持ちの全てを自他に理解してもらうことを放棄することに対するものという見方もできます。失望を伴いながら現実に沿っていく歩みを行う過程とカウンセリングを受け止めるとどこか切ない気持ちも湧いてきます。

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