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はじめに
我々は生きている中で多くの苦難やどうしようもない絶望を体験します。この時に感じる気持ちは当然「悲しい」「苦しい」などの「辛い」という気持ちです。しかし、辛い気持ちを感じるためには、心がある程度成熟している必要があります。今回はそんなお話です。
心の防衛による弊害
辛い体験は言葉にするだけでも大きな苦痛を伴います。なにしろ辛かった体験を振り返り再体験することになるのですから。相手に語らずに自分の中で思い出すことも同様です。多くの場合は心の防衛機能が働き生々しい辛さを感じないようにしています。カウンセリングで話題に上がる心の症状や行動の悩みの背景にこのような心の防衛が働いていることは少なくありません。しかし、この防衛故に心の真実に触れられないことも一方で生じます。
この働きはどこかに無理がかかっている側面があることは否めませんので、そのしわ寄せが時には精神症状という形で現れることがあります。例えば健忘や強迫などの心の症状が生じることが考えられますし、引きこもりや適応障害などの形で日常生活への支障となることもあります。
なぜ、心は防衛するのか
心が防衛を必要とするのは心が壊れてしまわないようにするためです。苦痛な体験や絶望的な境遇に置かれてしまった場合は、その状況をありのままに受け入れてしまうと精神的な危機が訪れてしまい、持ち堪えられないことがあります。そのような状態を回避しようとするのは生物としての生存本能なのでしょうが、苦痛の程度が大きければ心は修復不可能なダメージを負います。ただ、そのダメージを負っている状態ですら辛さと向き合うよりも良いと心が判断していることもあるのです。そのため、辛い気持ちを知覚するためには、心の防衛を外しても大丈夫という安心感をまずは持てるようになることが大切であると思います。
辛さに耐え抜く能力
辛い気持ちと向き合うためには前述のとおり、心の防衛を緩めても大丈夫という安心感が必要となります。そして、緩めた時に自分自身が危機を乗り切るだけの力を備えていることもまた大切です。自分が壊れないように持ち堪えられることが最優先事項ですので、そのための土俵を整えることが必要になります。
この考え方はレジリエンスの概念などで説明がされています。辛さと向き合うためには前述の安心感に加えて、自分自身が壊れずに辛さを眺められるだけの耐力を整えることになります。
辛さを心から追い出す
ところで、辛さを感じることができない場合、心はその気持ちをどのように処理しているのでしょうか。先程の心の防衛でも少し触れましたが、人によっては辛さに蓋をすることや、辛さを別の行動に置き換えるなどして対処をすることがあります。両者とも辛さは自分の中に残っているけれど見ることができない状態ですから、楽にはなりますが一時的なものです。
辛い気持ちがより耐えがたいものとなると自分の中に抱えておくことが出来なくなり、外に追い出そうとします。辛いものを心の中に残しておく先程の反応と異なり、そもそも無しにしようとするのです。この方法では感情を外に追い出すことになりますので、ご本人は辛さを感じることが良くも悪くも出来なくなります。非常に苦痛な体験をしているはずなのに、どこか他人事だったり平然としている方の中にはこのような心の動きが生じていることがあります。
ヘルプを出すことの難しさ
話が少し変わりますが、そんなに辛いのなら誰かに助けを求めればいいのではないかという意見も当然あるのではないでしょうか。しかし、言葉にするまでには多大な時間と勇気が必要ですし、そもそも苦痛な気持ちを外に押し出してしまっていて辛いという訴えを行うことが難しくなっている場合もあります。そうすると、いつまでもヘルプを出すことがなく、(端から見れば)ずっと苦しい環境に置かれ続けることになります。
幸せになることの苦痛
辛いのであれば、その体験を乗り越えて幸せな状況を作ろうと考える事は自然でしょう。しかし、このことにもまた一つの山を越える必要があります。幸せになるためには現在の自分が置かれている状況を受け止めて、辛さと向かい合う作業が必要不可欠になります。この過程があまりにも苦痛であれば、幸せになるのではなく苦境にずっと身を置いた方が良いという考えが起こります。周囲が前に進むことを促しても「どうせ変わらない」「自分なんて」などの反応で応じようとしないのであれば、そこにあるのは辛さを手放すことの苦痛を感じている可能性を考えることができそうです。
カウンセリングを受けるにあたって
「この辛さを取り除いて欲しい」という相談は多く、ある意味では全てのご相談に共通する訴えなのかもしれません。しかし、辛さを取り除くためには前述の通り自分の気持ちを眺めるために、一度は辛い状況に身を置くことが必要になるわけですから、辛さを取り除くという当初の目標を達成するまでに多大な時間がかかることがあります。ときには辛さを取り除くことが現実的な目的となり得ないことすら起こりえます。
カウンセリングの中では、まずはこの辛さと向き合えるだけの安心感や心の耐力を整えられるかが焦点となります。そのような土俵が未だ無いようであれば、まずは辛いことが話題にできる土俵を作るところから始めなくてはなりません。無事に土俵を整えることができると、辛さの蓋を取って眺める作業や辛さを自分の感情として感じられるようになるための作業を行うことになります。どちらにせよ辛さと向き合うためには下準備が必要であり、長いカウンセリングの期間が必要となるのです。